極楽戦争 - End of End 著・富士見永人

 序章「天上天下」

   3

 ぼくは一気に間合いをつめ、伊賀野の顔めがけて指を軽く開いて左手を突き出した。
 いきなり眼つぶし……と、見せかけて本命は懐に潜りこんでの中段突きである。白兵戦に慣れてない人間なら眼に向けて突き出された手に意識がいき、懐がおろそかになる。彼女がそう簡単にひっかかるとは思えなかったが、まずは小手調べだ。
 伊賀野は眼を閉じなかった。
 というか、ぎりぎりまで引きつけて手前に突き出した右手でぼくの手を弾きとばした。
 そしてほぼ同時に、ぼくの鳩尾みぞおちめがけて左中段突きをくり出す。
 読めていた。
 ぼくは予め胸元の前に置いといた右手で伊賀野の拳を受け止め、すばやく彼女の手首をつかみ、引きよせ……
 彼女の脇腹に、肘を打ちこんだ。
「む」
 伊賀野は、反対の手でしっかり受け止めていた。命中したと思ったのだが。やはりいい反射神経をしている。
「今のはちょっと危なかったです。お強いですね」
「実戦だったら手が無事じゃ済まないぞ」
「そうかもしれません」
 伊賀野は楽しそうに笑った。そして付け加えた。
「今の技は中国拳法でしょうか?」
「どうだろう。親の友人のところに放りこまれて何も言われずに叩きこまれたから、流派とかはわからないんだ」
 ぼくは淡々と答えた。本当に何の武術かわからなかった。強いて言うなら師匠の名前をとって八木やぎ流拳法とでも名乗っておこうか。トンファーの他にも槍術や剣なども習ったが、動きが日本の剣術とはだいぶ違っていたように思える。彼女の言うとおり中国武術かもしれなかった。
「君の流派は何ていうんだい」
 会話の最中にもかかわらず、ぼくはいきなり間合いをつめると同時に伊賀野の顔面めがけて拳打をくり出した。虚を突かれたのか、彼女はとっさに反応して腕で防御しようとした。
 かかった。
 ぼくは寸前で拳を止め……
 同時に、彼女のお留守になった鳩尾めがけて前蹴りを叩きこんだ。
 さすがに反応が追いつかなかったのか、伊賀野も今度は受けとめる間もなくふっとんでいった。
「有効打じゃね? 今の」
 鈴子が言った。
「いや、とっさに飛んで衝撃を逃がした」
 寿は否定した。
 有効判定は鈴子ひとりだけだったので、試合続行となった。たしかに手ごたえが軽かったので、決定打とは言えないだろう。本当にいい反応をする。いけると思ったのにな。くそ。
「油断しちゃだめだよ、伊賀野さん」
 ぼくは得意げに言った。挑発も兼ねて、ぶん殴りたくなるような笑顔を作ったつもりだった。
「はい……すみません、試合中でした」伊賀野は動じなかった。
 戦場に卑怯という言葉は存在しない。不意打ち、だまし討ち、闇討ち、集団戦術、何でもありだ。極論すれば、ぼくが寿と鈴子に助太刀してもらって三対一で伊賀野をぼこぼこにしてもいいのだ。格闘訓練にならないのでさすがにやらないが。
 伊賀野もそのへんは理解しているのか、文句ひとつ言わずに、しかし真剣な眼差しでぼくを見据えた。彼女の顔から無邪気な笑みが消えた。
 ようやく、その気になってくれたのかな。
 伊賀野は構えを解いたまま、小芥子のように突っ立っていた。
 ノーガード戦法というやつだろうか。ボクシングの試合でどっかの誰かが使っていた。カウンターを狙ってるんだったか。見るからにすきだらけなんだけど。
 これならどうだ。
 ぼくはすばやく間合いを詰め、伊賀野の顔面めがけて眼突きを、さらに彼女の膝めがけて関節蹴りを同時にくり出した。
「ぐえ」
 突然、ぼくは喉元のどもとに痛みを感じた。
「有効打」
「有効打じゃね」
 寿と鈴子が同時に言った。
 視線を下に向けると、そこにはいつの間にか伊賀野の手首があった。
 ぼくの喉元に、彼女の貫手ぬきてが当たっていたのだ。
 もちろん試合なので軽く当てただけだが、実戦だったらぼくは喉をつぶされ、そのまま次の一撃であの世に送られていたはずだ。
 いつの間に、ぼくは懐に入られた?
 わけがわからなかった。
「……完敗だな。大した腕前だ」
 ぼくは素直に彼女に敬意を表した。
「ありがとうございます」
 伊賀野はまた無邪気な笑みを浮かべた。こういうときは変に謙遜されるより、素直に喜んでもらった方がこちらも気持ちいい。付け加えた。
「今度はぜひ、トンファーを使った全力の先輩と試合しあってみたいです」
「縁人でいいよ。ぼくも響ちゃんって呼ぶ」
 寿や鈴子の影響か、ぼくは自分が認めた相手、親密になりたいと思った相手は、なるべく名前で呼ぶようにしている。堅苦しい他人行儀な態度は、するのもされるのも嫌いだった。
「えっと……では、縁人先輩で」
「ああ、それでいい」
 ぼくは響ちゃんと握手を交わした。試合には負けてしまったが、いい経験になった。ぼくもまだまだ甘い。
「縁人先輩のお師匠さまにも、ぜひお会いしてみたいです」
「あまりおすすめしないけどね」
 ぼくは苦笑した。あの人こわいんだよな。強さは完全保証なんだけど、性格はむちゃくちゃサディスティックというか。
 そう、八木師匠は完全に弟子いびりを楽しむような人だった。ぼくがこの猛者ぞろいの白虎学園でもそこそこ上の方でいられるのは、八木師匠の地獄の特訓によるところが大きい。あの五年にも及ぶ苦行がなければ、ぼくはおそらく今頃この世にいなかっただろう。感謝しなければならなかった。師の役割とは弟子に優しくすることではなく、育てることなのだから。
 同時にぼくを師匠のところに放りこんだ父にも、感謝しなくてはならない。ぼくを千尋せんじんの谷に突き落としてくれてありがとう。生きてるうちに親孝行したかったです。父さん。
 続いて、寿と鈴子の試合が始まった。
 ぼくは彼らの試合を見ながら、響ちゃんに聞いた。
「さっきの最後のあれは何? 君の流派の技?」
「あれは縮地法しゅくちほうです」
「縮地法って、眼にも見えないものすごいスピードで走るアレ?」
 てっきり漫画の技だとばかり思っていたけれど、元ネタが存在いていたらしい。
「縁人先輩。漫画の読みすぎです」
 つっこまれてしまった。
「実際は一歩か、せいぜい二歩だけ動きます」
 響ちゃんは立ちあがり、先ほどのように直立不動の構えをしていた。体全体の力を抜き、リラックスしているのがわかる。
 そして、突然バランスを崩し、前へ倒れようとした。
 すたん。
 彼女の靴底が床を叩く音がした。倒れる直前で片脚を前に出し、踏みとどまったのだ。
「実際はもっと短い動作ですが、体の力を抜いて重力を利用して動く、という感じでしょうか。人間の眼って横よりも縦の動きに弱いんですよ。達人クラスになると相手が消えたように見えるそうです。実際には見失う、といった方が近いですかね。私もまだ未熟なのであまり詳しくは説明できないんですけど。あ。あと練習しすぎないでくださいね。けんが切れてしまいますので」
 あれでまだ未熟なのか。ぼくは完全に見失っていたのだが。面白そうだから今日少し練習してみよう。
「あ。有効打」
「え? 今のが、ですか?」
 ぼくは鈴子のバトン(ナイフ)が、寿のほおに接触するのを見逃さなかった。実戦なら鈴子のナイフには毒が塗られているはずなので、それで勝敗が決するはず。
「おい、今の有効だろ」
 鈴子がぼくらの方を向いて言った。
 寿が反論した。
「あんなもんが有効になるかよ。仮に毒をくらったとしても、体全体に回るまでは時間がかかるだろうが。なあ、無効だよな? 響ちゃん」
「えっ。あ、はい。そう思います」
 寿に押されるようにして、響ちゃんはそう言った。鈴子が舌打ちした。
 その後、しばらく力と技の攻防が続いた。寿が棍棒のリーチと手数を活かしてがんがん攻め、隙を見て鈴子が切りつけるというやりとりが続いたが、なかなか決定打には至らなかった。二人とも短気なので後半はほとんど喧嘩のようになり、焦った鈴子が壁ぎわに追いこまれ、寿の勝利に終わった。あとで聞いた話だが、今日の晩飯を賭けていたらしい。
 試合が終わったあとは二人ともあざだらけになっていた。
 

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