極楽戦争 - End of End 著・富士見永人

 序章「天上天下」

   8

 朝がきた。窓から日が射しこみ、自然と眼がめた。窓を開けると外は雲ひとつない快晴だった。
 午前中の座学の授業が終わり、ぼくは今日も神の味ワイヤーラーメンを堪能しにひとり食堂へ向かった。寿や鈴子も誘いたかったが、あいにく彼らは今日は欠席していた。
「あら、縁人さん。丁度いいところに」
 食堂の入口で夢葉に声をかけられた。秋月も一緒だった。
「私たち、これから二人で《コントワール》へ行くのですけれど、よろしかったら縁人さんもご一緒にいかがですか?」
 コントワールというのは学園の敷地内にある高級レストランだ。一食一万円以上という、庶民には縁のない場所である。
「いや、ぼくはお金がないから」
「私がごちそうしますよ。神楽さんもそうですけれど、縁人さんにも昨日危ないところを助けていただいたので、そのお礼がしたいのです」
 いやぼくは何もできなかったからと遠慮しようとも思ったが、高級料理を口にする機会なんておそらく二度とないだろうし、せっかくのご厚意を無下むげに断ってしまうのも何だか失礼な気がしたので、ぼくは彼女の言葉に甘えることにした。親衛隊との約束? 知らないね。

 コントワールは学舎のすぐ近くにあるみかどビルの十階にあった。
「うわあ」
 ぼくは感嘆の声をあげた。田舎者丸出しだった。高級レストランというだけあって部屋の中を構成するパーツが何もかもまるで違う。絢爛豪華けんらんごうかなシャンデリア、どこぞの高名な画家が描いたと思われる美しい絵画、隅から隅まで一切の妥協なく細部まで洗練された壁や天井、豪奢ごうしゃな唐草模様の刺繍ししゅうが編みこまれた絨毯じゅうたん。ぼくのような貧乏人にとってはまるで異世界だった。秋月はよく夢葉とここで食事をとるのだろうか?
 しかしここで、思わぬ障壁が立ちはだかった。
「このレストランは制服での入店も認められているはずです」
 夢葉はコントワールのウェイターに抗議していた。彼がぼくらを入口付近で呼び止め、ドレスコード(服装規定)に触れるので入店はできないと言い出したのだ。東陽家の看板もドレスコードの前では無力らしい。
「制服は問題ないのですが……」
 ウェイターは、何やら口ごもった様子でぼくの方を見た。もしかして、ぼくの身装みなりが気に食わないのだろうか。ぼくの制服は元々この学園(正確には吸収合併された別の学園だが)に通っていた父のお下がりでろくにクリーニングもせずボタンなどがとれてもそのままだったし、靴も磨かず買い替えずで色せぼろぼろになっていた。金は限られているので、機能面に問題でも生じないかぎりそのまま放置である。
「申しわけありませんが、他のお客様のご迷惑になりますので」
 奥の方からコントワールの支配人とおぼしき男がやってきて夢葉に深々とこうべを垂れた。
「彼らは私の友人ですよ!」
 夢葉はややヒステリックに叫んだ。上流階級のお嬢様だからこういった高級レストランのドレスコードくらい折りこみ済みで、高級スーツにちょうネクタイでもつけさせられるのかなと思っていたのだが。しかし他の客がいる手前、支配人も譲歩はできないようだった。
「わかりました。では服と靴を貸し……」
「いいよ、夢葉さん。ぼくは食堂でワイヤーラーメンでも……」
 夢葉が渋々言いかけたところを、ぼくはさえぎった。従業員と他の客の視線がこちらに集まっていたのだ。秋月はどうかわからないが、ぼくがお呼びでないことは明らかだった。
 空気を察したのか、秋月が提案した。
「では、今日は三人で学食へ行きませんか?」
「そ、そうですね。そうしましょうか」夢葉は同意した。

 外の風景が見える帝ビルのゴージャスなエレベーターを降りて一階のロビーを抜けると、下北沢に遭遇した。第一話で登場してそれきり音沙汰のなかった東陽夢葉親衛隊隊長である。
 彼は明朗な笑みを浮かべて言った。
「これはこれは。東陽さん。これからお食事ですか?」
「ええ、まあ」
「実はもこれから《会長》とマキシム・ド・マリで昼食をとるのですが、ぜひ貴女にもご同席いただきたいとお探ししておりました」
 連れがいるというのに大胆不敵な男である。
「申しわけありませんが、私はこれから三人で……」
「むむ。それは困りましたね。会長はすでに貴女の分まで予約をとっておりまして。貴女をお連れしないと会長と私の立場が……ああっ」
 芝居がかった態度で下北沢は夢葉に迫った。ぼくらのことなど最初から眼中にないようである。
「ええと……あの」
 夢葉はたじろいでいた。
「親衛隊の皆も貴女との会食を楽しみにしております。さあ」
 そう言って下北沢は夢葉に手を差しのべた。彼女はぼくと秋月の方をちら見し、おろおろしていた。夢葉にとっては一種の修羅場だったかもしれない。アナタはいったい誰を選ぶの! まるで昼ドラだ。テレビ持ってないけど。 
 下北沢はときどきこちらを鋭い眼で睨みつけてきた。警告したにも関わらず夢葉と一緒にいるぼくを牽制しているのか、空気読めと暗にほのめかしているのか。おそらく両方だろうが。
 しかし夢葉は思わぬ解決策を提示した。
「では、皆さんでご一緒に……」
 先ほどコントワールで門前払いをくらったばかりだというのに、彼女には学習能力がないのだろうか。
 ぼくは下北沢よりも先に夢葉の提案を退けた。
「あー。三人で行ってきなよ。夢葉さん」
 横にいた秋月の眉がわずかに動いた。ような気がした。
「でも……」
 夢葉は申しわけなさそうにぼくを見つめたが、これでいい。彼女には彼女の人間関係、社会があるのだ。ぼくは身分の差など気にもとめないが、それが彼女の評判を損ねるというのなら話は別だ。ぼくはさらに付け足した。
「早くいかないとワイヤーラーメン売り切れちゃうしさ。ぼくはここで……」
「ごめんなさいね。私もカレーが売り切れてしまいますのでここで」
 秋月はぼくの言葉を遮り、ぼくの肩をつかんで強引に撤収した。ひとりおろおろしている夢葉を残して。夢葉の表情はどこかさびしげに見えた。これでよかった……んだよな。

 ぼくは秋月と一緒に大食堂へ行き、厨房のおばちゃんに「いつものお願いします」と言った。厨房内ではぼくはすでにワイヤー四天王として名が知れ渡っているのでこれで通じる。だてに毎日食ってない。
 食堂中央付近の円卓の座席に腰を下ろすと秋月が右側の席にやってきた。手にはカレーライス。そういえば鈴子と喧嘩したときもカレーだったな、たしか。好きなのだろうか? カレー。
 秋月は、はあ、と大きなため息をついた。
「勘弁してくださいよ。円藤さん。彼らの中で食事なんて」
「縁人でいいですよ。ぼくも神楽先輩って呼びますんで。けど意外ですね。先輩は親衛隊公認の仲と聞いてたんですけど」
「正直あまり好かれているとは言えませんね。彼らは夢葉さんに言われて仕方なく黙認してるだけですよ。階層による差別意識はそう簡単にはなくならないものです。彼女は見ての通り優しいので、さっきの下北沢のように強引に迫られると断りきれないんですよ。でも、私が彼らを追い払うわけにもいかない。夢葉さんには夢葉さんの人間関係がありますからね。あの男、彼女の優しさにつけこんでやりたい放題……本当に気に入らない」
 神楽先輩は嫌悪感むき出しの顔で歯噛はがみした。いや、嫌悪を通しこして憎悪というかんじだった。
 ぼくは神楽先輩に夢葉と知りあった経緯を聞いてみた。話によると、夢葉が下層の女生徒グループに連れ去られて嫌がらせを受けているところを偶然通りかかった先輩が助けたらしい。その後すっかり夢葉になつかれて何度か話をしているうちに意気投合し、現在にいたると。神楽先輩は一見さばさばしているように見えるが、以前は心から信頼できる友人を作れずに人間関係で悩んでいた時期があったそうだ。で、夢葉に悩みを打ち明けたところ、立場は違えど夢葉も似たような悩みをかかえていたのだとか。
 初めは神楽先輩も親衛隊に眼をつけられて連れ出されたことがあったらしいが、夢葉の介入によって防がれ、親衛隊も夢葉と神楽先輩の交流を認めざるを得なくなった。ぼくも親衛隊から暴行を受けたことを話したら、彼女は心底憎々しげに同調した。夢葉に話せばすぐに解決するとも言ったが、それはあまりやりたくなかった。そんなことをしても本当の意味で解決したことにはならないし、何より自分の信条に反するような気がしたのだ。
 そう、ぼくの憧れの《あの人》なら、間違ってもそんなことはしない。

「縁人くうーん。奇遇だねえ」

 どこからか、陽気なソプラノボイスが聞こえてきた。聞き覚えのある声だった。噂をすれば何とやら……
 神楽先輩の反対側、つまりぼくの左側の席にひとりの女生徒が腰かけた。彼女はテーブルの上に山のように盛られた牛丼をどんと置いた(特盛で満足できない大食いのために用意された特別メニュー《極盛ごくもり》だ)。
麗那れいな先輩……」
 学園食物連鎖の頂点に君臨する肉食系女子、紅麗那くれないれいな だった 。
 

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