極楽戦争 - End of End

著・富士見永人

序章「天上天下」



12
 午後四時半。平和町から白虎学園学生寮に戻ったぼくは、夕食を食べようと学生寮一階の大食堂へ向かった。時間が時間なのですでに多くの生徒でごった返していた。
「よお、縁人」
 大食堂入口付近の廊下で鈴子と会った。寿はおらず、ひとりのようだった。
 鈴子は何だか照れくさそうに視線を泳がせ、しばらく沈黙していたが、なにやら意を決したのか口を開いた。泣く子ももっと泣く要組の《狂犬》、亜蓮鈴子のレアな一面を垣間かいま見た。
「こないだはその、悪かったな。痛かっただろ、あそこ」
 ああ。もしかして、こないだ食堂でぶち切れた際にぼくの股間を蹴りあげたことを謝っているのか。地獄の激痛を味わったものの睾丸こうがんのダメージ自体は大したことはなく、江口先生のくれた鎮痛剤のおかげでだいぶ痛みはやわらいでいた。また、ここ数日いろいろとあったせいか、鈴子に対する憎悪はもはやぼくの大脳辺縁系から消え失せていた。
「だからさ。お詫びってのもアレなんだけど、今日はあたしが飯おごるよ。どこがいい? ヤックにでも行こうか?」
 鈴子はにしし、と屈託のない笑みを浮かべてみせた。彼女の歯並びのいいきれいな前歯が見えた。ちなみにヤックこと『屋久やく・ド・ナルド』は、屋久島に本社を置く世界的にも有名なファーストフードチェーンのことである。主なメニューは高カロリーのフライドポテトやハンバーガーで、常連にでもなったら一般人はもれなく生活習慣病メタボリックシンドローム予備役だ。学園敷地内にも支店がある。
「そうだね。じゃあ今日はヤックにでも」
 毎日ワイヤーラーメンばかりだし、たまには人にあわせてみるのも悪くないかなと思った次第である。
 ぼくらは学生寮を出た。
 空を見上げると、黄金こがね色に輝くが地平線付近にまで傾き、上空の雲海を鮮やかな紅緋べにひに染めあげていた。その下には、そびえ立つ巨大な塔。ヤックようする帝ビルだ。
 道中、唐突に鈴子はぼくに質問した。
「縁人。赤紙、来た?」
「きたよ」
 ぼくは正直に答えた。
 案の定、鈴子のところにも明日の掃討作戦の赤紙が届いていたらしい。彼女の眼はぼくを見てはおらず、ただ高く遠いあかき雲海を見つめていた。彼女は何を思っているのだろうか。
「あのさ。縁人」
 鈴子は何かを告げようとして、途端に口ごもった。
 沈黙がしばらく、続いた。
「いや。やっぱ何でもねーわ。明日がんばろうな。絶対に生きて帰ろうぜ。絶対だ」
 照れくさそうに、しかし何かをごまかすように鈴子は笑ってみせた。《狂犬》だのなんだのと呼ばれ畏怖いふされている彼女も、こうして話しているとひとりの女の子なんだなとぼくは思った。
 ぼくは、ただ笑ってうなずいた。
 が、なぜだろう。妙な胸騒ぎがするのは……
「縁人さん」
 ふいに背後から声をかけられ、ぼくは振り向いた。
 そこには白虎学園深窓の令嬢・東陽夢葉がいた。神楽先輩や親衛隊の連中はいなかった。
「あ」
「あ?」
 夢葉と鈴子の眼が合った。
 まずい。
 こないだの食堂乱闘事件。火種は田代の暴挙だったけれど、暴走する鈴子に平手打ちをおみまいして油を注いだのは夢葉だ。またまた一触即発。なぜぼくの周りではこうも女性同士の揉めごとが絶えないのか。神の悪戯いたずらなのだろうか。それともぼくは実は恋愛シミュレーションゲームの主人公か何かで、これらはいわゆる《VSバーサスイベント》で、後のルートへの分岐点か何かなのだろうか。
 夢葉は鈴子の鋭い視線に一瞬ひるんだかのように見えたが、構わず続けた。
「昨日はごめんなさい。お礼をすると言っておきながら、その、恥をかかせてしまった、といいますか……」
 謝られてしまった。おそらく昨日のコントワールでの一件のことだろうが、ぼくは人目など特に気にしないし自分の意志で辞退したので、こうして謝られると正直心苦しかった。
 夢葉はさらに続けた。
「お食事はこれからですか? よかったら、私におごらせていただけませんか? 今度は縁人さんの好きなところで、好きなものを好きなだけ注文してください。そうですわ、食堂を貸切にでも……」
「待ちなよ」
 鈴子が、遮るようにぼくと夢葉の間に割って入った。
「あたしが先約だぜ。勝手に話を進めんなよ。東陽のお嬢さまは、高級レストランでボンボンどもと当たりさわりのねえ中身スッカラカンのハリボテみてえな話でもしてろ。縁人は今からあたしとヤックに行くんだよ。なあ、縁人?」
 鈴子は右腕をぼくの腕に絡ませ、ぼくの所有権を主張した。密着することで彼女のつけている香水のフローラルな香りがぼくの鼻腔びくうを刺激した。あの、胸が当たってるんですが。……当ててんのよ? 左様でございますか。
 これまで女性と接触するという機会にあまり恵まれてこなかったため、ぼくは不覚にもちょっとたじろいでしまった。
「ちょ、ちょっと……縁人さん嫌がってるじゃないですか」
 夢葉は強引にぼくと鈴子を引きはがそうとした。別に嫌というわけではなかったのだが、それにしても先日あれだけのことがあったというのに彼女も上流階級のお嬢さまにしてはなかなか剛胆ごうたんであった。いや、単に無謀なだけなのか。
「さわんな!」
 鈴子は突然怒鳴り、夢葉の手を乱暴に払いのけた。敵意をまったく隠さず、猛禽類もうきんるいのように鋭いまなざしで夢葉をにらみつけていた。そして低く威圧するような声で言った。
「あたし、あんたみたいなやつ大嫌いだから」
 夢葉はそれでようやく自分に向けられた明確な敵意に気づいたようでびくっと体を震わせ、視線をぼくの方へと泳がせた。本当に彼女は人の敵意に鈍感だ。
 鈴子は容赦なくまくし立てた。
「命がけで戦ってるあたしらに支えられて生きてるくせに、何もしねえで偉そうに高級料亭で高みの見物してふんぞりかえってる連中さ。あんだよその顔は。そんなつもりはない、感謝してます、ご苦労様です、ってか? そんな上っ面だけの気持ちなんざいらねえんだよ。あんたさ、一度でも実戦で反乱軍や赤鳳隊相手に……いや、そもそも戦場へ行ったことあんのか? ないだろ。いくら感謝なんかされたって、戦場で死んでいった連中は生き返らない。結局あんたら特権は、口先だけで何もしやしない。そうやって善人面した自分に酔いしれてるだけだ。まじで気持ちわりーし、むかつくんだわ。甘ったれた面して見おろしてんじゃねーぞ。もしあんたが本気で縁人と友達になりたい、対等に付き合いたいっていうなら、できることはひとつだけだよ。わかるか? 任務で、戦場で、縁人と一緒に血を流すことだ。ま、無理な話だろうけどね。箱の中のお嬢は、同じ箱の中のボンボンとおままごとでもしてろ」
 もう言いたい放題だった。
 夢葉は悔しそうに、わなわなとしばらく震えながら唇をかみしめていた。目尻にうっすらと涙が浮かんでいた。
「鈴子。言いすぎだ」
 思わずぼくは仲裁に入った。夢葉はたしかに危険な掃討作戦などの任務は免除されてはいるが、高みの見物を決めこんでるだけの連中とはちがう。医療のカリキュラムを受講し、こないだも保健室で重傷者を必死で介抱していた。彼女なりに、皆の役に立とうとしていたのだ。もっとも鈴子はそんなことは知る由もなかったが。
 鈴子にぼくの声は届いていないのか、相変わらず鋭い眼で夢葉をにらみ続けていた。
「馬鹿にしないでください」
 夢葉の震えた声がかすかに聞こえてきた。
 そして夢葉は、鈴子の瞳をまっすぐ見据え、はっきり言った。
「行きますよ。ええ。行きますとも。縁人さんと一緒に任務に参加してきます。そして、今の発言を撤回していただきます」
 鈴子は少し意外そうに目を見開いたものの、すぐに邪悪な笑みを浮かべた。目が笑ってなかった。こ、こわい。
「おもしれーじゃん。できるもんならやってみろよ。もし本当に任務に参加して生き残れたら撤回してやるよ。お姫様」
「私には夢葉という名前があります!」
「戦場で一人前になってから言えよ。雑魚」
 売り言葉に買い言葉だった。
 まずい、こいつら完全にヒートしてる。
 そりゃ夢葉だって仮にも軍学校の生徒だし、ひと通りの軍事教練は受けている……かもしれないが、訓練と実戦は違う。危険をともなう実戦訓練を、おそらく彼女は経験していない。最初から実戦配備を前提としたぼくらとは実戦での戦闘能力がまるで違うだろう。言っちゃ悪いがたしなむ程度というレベル……ごろつき相手の護身くらいには役立つかもしれないが、反乱軍を相手どった掃討作戦に出陣すればまず真っ先に首をはねられる。後方待機するにしたって敵に狙われればふりかかる火の粉は払わねばならないのだ。護衛をつけるという手もあるが、誰かを守りながら戦うというのは自分ひとりの身を守るよりもはるかにリスクが大きい。貴重な兵力を割いてまで夢葉をわざわざ戦場に連れていく意味があるのか。つまらない意地のためにわざわざ死ぬリスクを冒す必要があるのか。平等とかプライドとかそんなものより命の方が大事だろう?
 ぼくは止めた。
「おい鈴子。夢葉も。いくらなんでも無茶苦茶だ」
「女同士の戦いに男が出てくるんじゃねーよ。縁人」
 まるで男のような言い草である。
 夢葉は鈴子に詰め寄ろうとするぼくを制止し、鈴子をまっすぐ見据えたまま、静かな口調で言った。何かを覚悟したような、腹をくくったような、そんな表情をしていた。
「いいんです。止めないでください、縁人さん。確かに言われてみればおかしな話です。家柄やお金の有無で戦場に行く行かないを決められるなんて。甘えていると言われても仕方ありません。このあいだ保健室で皆さんの手当をしていたとき、私はずっと考えていました。もし私が現場にいたら、救えた命があったのではないか、と」
 夢葉はまっすぐな眼をしていた。そして……
「だから、縁人さん。私はあなたと一緒に戦います」
 はっきりと、そう言った。
 
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