極楽戦争 - End of End 著・富士見永人

 第一章「極楽地獄」

   9

 ボロ雑巾のごとく打ちのめされ、今にも死にひんしていたぼくにとって、彼女の、紅麗那くれないれいなの声は、天からの大いなる福音ふくいんに聞こえた。
「困るんだよね。縁人くんも、響ちゃんも、ようやく美味しそうになってきたのに。勝手に横取りなんてされちゃ」
「れ、麗那先輩……」
「やっほー。縁人くん。助けに来たよー」麗那先輩は、無邪気な笑顔で手を振った。
「ひっこんでろ、化物」要玄人は静かな声で、しかし心底うっとうしそうに、そう告げた。
「そうはいかないんだよねー」麗那先輩は大きく伸びをしながら言った。
「ほら、なんだかんだ言って私を慕ってくれている後輩の危機じゃない? あの《首刈り》相手に何とか頑張って生き延びてきたって話だし、たまにはご褒美というか、お姉さんの優しいとこ見せてあげなきゃなー、なんて」
「てめえはただ暴れてえだけだろ。この欲求不満の雌猫めすねこが」
「ま、それもあるけどねー」
 図星を突かれたのか、麗那先輩はいきなり破顔一笑はがんいっしょうした。
「で、どうする? このままふたりをいじめるっていうなら、お姉さんが先生に代わっておしおきしちゃいますよ?」
 麗那先輩の表情が、あのとき不良五人衆を蹴散らしたときの、嗜虐しぎゃく的な笑顔へと変わっていた。これは、彼女からの宣戦布告のようなものだと思っていい。
 だが、要玄人も退かなかった。
「調子に乗るなよ。化物。俺に命令できんのは俺だけだ。このままはいそうですかって解散してやる気はねえ。もちろん、てめえごときに邪魔をさせるつもりもねえ」
 麗那先輩を『ごとき』呼ばわりできるのは、恐らくこの学園で要玄人ただひとりだろう。だが麗那先輩はまったく逆上することなく、むしろさらに口角をあげて嬉しそうに、しかしまだどこか嗜虐的に、笑っていた。
 麗那先輩が歩を進めると、手前にいた友納と天草が立ちふさがった。もう金的攻撃の激痛から立ちなおったのかと感心したが、顔色が悪く、額には脂汗あぶらあせを浮かべている。単なるやせ我慢だろう。
「二人で同時にかかれ。多角攻撃だ」
 要玄人がそう命じると、友納が麗那先輩の前に立ち、天草が背後を塞いだ。どちらも学園上位に君臨する猛者だ。麗那先輩があのとき叩きのめした五人組のごろつきとはワケが違う。
 だが、ぼくにはあの麗那先輩が負ける姿が、まるで想像できなかった。
 じりじりと距離をつめ、友納は麗那先輩の顔面めがけて上段回し蹴りを、天草が麗那先輩の首めがけて手刀をくり出した。
 ぼき、という嫌な音が響きわたった。
 天草の腕があり得ない方向へと曲がっていた。彼は何が起きたのかわからないといった顔で、自分のだらしなく垂れ下がった右腕を眺めていたが、すぐにバレエのダンサーのように高く上げられた麗那先輩の後ろ足にあごを蹴り飛ばされた。ふわっ、と、彼の体が浮き上がり(そして首がなんだかやばそうな方を向き)、そのままなんの受け身も取ることなく大の字で、地面に墜落した。一瞬のできごとだったのでよく見えなかったが、あの首刈りが背後の敵を正確に切りつけてきたように、麗那先輩もまた、友納の回し蹴りを避けつつ、手刀をくり出してきた天草の腕を、逆関節攻撃で破壊したのだろう。相変わらず恐るべき反射神経とスピードだった。
「てめえ」
 友納が嵐のような突きと蹴りの連打をくり出したが、麗那先輩はすべて軽々と躱していく。
「ほっ」
 ぴし、という、鞭でひっぱたいたような高い打撃音が聞こえ、友納が鼻を押さえてのけぞった。速すぎてよく見えなかったが、麗那先輩が、彼の鼻っ柱にボクサー顔負けの高速ジャブをおみまいしたのだ、と思う。
 友納の手のすき間から鼻血がぼたぼたとれ落ち、彼は眉間にしわを寄せて麗那先輩をにらみつけた。
「なめてるの?」
 そして次の瞬間、麗那先輩が眼にも止まらぬスピードで高く飛び上がり放った後ろ回し蹴りが、友納の側頭部を《喰らった》。彼はそのまま意識が飛んだのか、派手に地面になぎ倒され、動かなくなった。
 同じだ、あの時と。
 初めて麗那先輩に助けてもらった、五人の不良をあっという間に叩きのめした、あの時と同じ。
 動きはまるで出鱈目でたらめなのに、とてもしなやかで、それでいて力強く、相手の動きをすべて把握しているかのようにかわし、さばき、打つ。実際、ぼくは彼女が敵から攻撃をもらったところを見たことがない。ぼくが二度めの告白をした時、麗那先輩はぼくをテストした。八木師匠から授かった古式武術の不意打ちだまし打ちといった、たちの悪い技のオンパレードが、彼女にはまったく通用しなかった。彼女がぼく以上に技の読みあいに長けていたのかといえばそんなことはなく、単純に、ぼくの攻撃を、全て見て確認してから、動いていた。それもどこぞの武術を思わせるような型に基づいた動きではなく、自由奔放かつ支離滅裂な、サーカスやら雑技団を連想させる、おおよそ武術とは程遠い、予測不可能な動きで、ぼくを翻弄ほんろうしていたのだ。今まで見たこともない動きに、ぼくはついて行けなかった。何かの冗談かと思った。極限まで研ぎ澄まされた反射神経、身体能力、判断能力と速度。生物としての根本的なスペックが違う感じだった。
 《上位捕食者》。
 まさにそんな言葉こそ、麗那先輩には相応しい。いくら武の道を極めても、人はライオンには勝てないのだ。彼女ならアフリカとかその辺の、槍や斧を使って単騎で猛獣を仕留めてしまうような未開の部族の勇者と戦っても勝ってしまうかもしれない。彼女にほふられていった多くの敵は、あの人間離れした動きに翻弄ほんろうされ、死んでいったのだ。要玄人が彼女を《化物》と呼ぶのも無理からぬ話である。彼女の強さは幾千もの戦いで積み上げられたものか、はたまた天からのギフトか。それはわからない。
「あーあ。かわいそー。彼我ひがの力量差もわからない猿山のボス猿さんのせいで、こんなことになっちゃったよ」
 麗那先輩は要玄人をあざ笑うように言った。どうやら他は最初からどうでもいいらしく、さっさと彼と戦いたくて仕方がないようだ。
「おんぶにだっこじゃ成長しねーだろ、あいつらも。それに」
 言うなり要玄人は、麗那先輩に向かって一気に距離を縮め、例の《交通事故キック》をくり出した。麗那先輩の反射神経をもってすれば充分躱せたはずだが、彼女はあえてそうせず両腕をがっちり顔の前で交差させ、その蹴りを受けた。しかし体重の差は歴然としており、やはり彼女の体も、地面を離れ、飛んでいった。圧倒的な威力だった。
 背中から壁に突っこんでいったにもかかわらず、麗那先輩は空中で器用に体勢を立て直し、壁に《着地》した。
 が、その時には、すでに追い打ちをかけてきた要玄人の大きな拳が、彼女の目の前にまで迫ってきていた。
 ごしゃっ。
 ぼくなら、いや、この学園の九十九パーセントの人間なら、ここでジ・エンドだろう。
 だが、相手の顔面を先に捉えたのは、要玄人の拳ではなく、麗那先輩の拳だった。
 芸術、そう形容していいほど完璧なカウンターだった。あの土壇場どたんばでこんな芸当を軽々とやってのけるのも、麗那先輩の頭抜ずぬけた反射神経あってのことだろう。
 しかしそれでも要玄人は倒れず、それどころか自分の顔面にめりこんだ麗那先輩の腕をつかもうとした。麗那先輩はとっさに距離をとった。要玄人もまた、《一騎当千》級の化物。
「それに、何? なんか言いかけてたよね、さっき」
 要玄人の赤黒く内出血した頬を見て、麗那先輩は目を細め、わらった。
「俺と直にやりあったら、いくらてめーが化物だろうが、壊れちまうからな。そりゃいくらなんでも可哀想だと思ってな。化物でも一応ひとつの命だ」
「ああらお優しいこと。でも、おかまいなく。壊れるのは私じゃなくて、君の方だから」
 しばらく怪物同士の猛攻が続いた。要玄人の打撃はどれも鋭く重たく一打必倒の威力を秘めたものばかりだったが、麗那先輩の超反応でかわされるか、当たっても威力を相殺そうさいさせられるかのどちらかだった。体重差からして、一発でも命中すればいくら麗那先輩といえどもひとたまりもないだろう。一方で麗那先輩の打撃は要玄人に何度か命中しているものの、彼はそれをものともせず、麗那先輩への猛攻を継続する。麗那先輩の打撃は決して軽くない。ぼくは鈴子に何度か殴られたことがあるが、やはり男女の体格や体重の差もあってか、急所にでももらわないかぎり我慢できないレベルじゃなかった。でも、麗那先輩の打撃は違う。なんというか、男の打撃なのだ。すごく動作が速く、女性としては異常なくらい重かった。たぶん、ぼくや寿よりも重い。だが要玄人を倒すには、それでもまだ足りないのだ。弾け飛んだ釘バットの先端が、彼の異常なまでの頑強さを物語っていた。
 要玄人の伝説は枚挙にいとまがないが、その最たるものに、五発の銃弾を体に受けて仲間を担いで帰還した、というものがある。彼の体は傷だらけだが、ところどころ弾痕を思わせる丸いクレーターのような傷があった。映画などで銃で撃たれると小さく丸い穴が空いたりするが、実際はあんな生易しいものではない。ホローポイントという先のへこんだ弾は体内で変形して体をずたずたに引き裂くし、銃の口径やパワーが大きくなると弾丸が周りの肉をすりつぶして破壊するため貫通時には弾丸よりもだいぶ大きな穴が空くものである。体格にもよるが、一発でも胴体に受けたら普通は致命傷、三発も受けたらまず助からない。だが、要玄人は生還した。彼もまた、人間離れした怪物であった。

 ばき、という、先ほど天草の腕を破壊した時と似た骨の破砕音が、辺りに響きわたった。

 まるで鋭利な刃物のように、麗那先輩の肘が、要玄人の脇腹に突き刺さっていた。
 要玄人の口端こうたんから、どろりとした血があふれた。肋骨が折れて臓器に突き刺さったのかもしれない。これが格闘技の試合なら、間違いなく即ドクターストップ、担架で運び出されるほどの重傷だろう。
 だが……
 要玄人は、そのまま何ごともなかったかのように、麗那先輩の首に手を伸ばした。
 勝負がついたと油断したのか、麗那先輩は一瞬反応が遅れ、要玄人の大きな手に首を捉えられた。
「麗那先輩!」
 ぼくは思わず叫んだ。
 要玄人は、そのまま麗那先輩を高く持ちあげ、後頭部から思いきり、地面に叩きつけた。
 ぐしゃっ、と。

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