極楽戦争 - End of End 著・富士見永人

 第二章「陥穽かんせい

   5

「おろせ」
 背負った飛鳥先輩の、弱よわしい声が聞こえた。
「わいはもうだめや……ふたりそろうて殺されるで」
 脇目で飛鳥先輩の顔をちらと見た。彼の顔色は先程の酉野先生同様病人のように青ざめ、体ががくがくと痙攣けいれんしはじめていた。止血処置をする余裕もなかったので、ぼくの走ってきた方向には点々と飛鳥先輩の血の道ができている。これをたどられれば、簡単に追いつかれてしまうだろう。
 しかし、ぼくは首を横に振った。
「嫌ですよ。みんなで学食でカレーを食べる約束、忘れたんですか」
 酉野先生に助けてもらったこの命をみすみす無駄にするつもりはないが、それは飛鳥先輩も同じこと。彼はまだ知りあって間もないけれど、共に背を預けて戦った仲間であり、ぼくの友人である神楽先輩の友人(?)でもあるのだ。彼が死ねば、おそらく神楽先輩は悲しむだろう。そんなのは御免だった。ぼくは女性の涙に弱いのである。
「とにかく、ここを出られれば反乱軍の勢力圏外です。それまでもう少しだけ」
 言いかけたところで数人の影が見えた。構わずに突っ切ろうとしたものの、道を塞いできたのでぼくは立ち止まった。格好からして地下の住人のようだが、また通行料か? くそ、こんなときに! 下北沢じゃないが、今回ばかりは邪魔なこいつらをぶち殺したいと思った。
「てめえ、さっきはよくやってくれたな。もう有り金全部置いてけ、なんてぬるいことは言ってやらねえ。おれの受けた痛み、一億倍にして返してやるぜ」
 しかも、間の悪いことに、そのうちのひとりは、さっきぼくが蹴り飛ばして壁にたたきつけた、あの鉄パイプ男だった。
 彼は懐からナイフを取り出し、威嚇するようにぼくらに向けた。
「さっきはその、すいませんでした」
 ぼくはダメ元で頭を下げてみることにした。
「仲間が死にそうなんです。今すぐ病院に連れていかないと死んでしまう。お願いします、通してください。後で何でも言うこと聞きますから」
 必死で嘆願したが、鉄パイプ男は至極しごく不快そうに唇を歪めた。
「寝言言ってんじゃねーぞ。おまえら政府軍の連中の言うことなんざ、誰が信じるもんかよ。そいつが死のうがおれらにとっちゃどうでもいいな。むしろいい気味だ。さんざんおれたちをしいたげてきた天罰ってこった。神様はちゃんと見てくれていた」
 やはりだめか。どうする。飛鳥先輩を下ろしてこいつらを倒すか。それしかないか。必死で逃げてきたため、トンファーは置いてきてしまった。素手で何とかするしかない。相手は素人だ、どうにでもなる。そう考えて飛鳥先輩を下ろそうとした、ところで……

 ぱか、と、ホームレスが、頭からきれいにまっぷたつに割れた。

 まっ赤な血が、打ち上げ花火のように爆散してぼくに降りかかり、白い制服の右半分に紅い水玉模様を作った。くそ、制服を買い直す金なんてないんだぞ。どうしてくれるんだ!
「こんなとこで突っ立ってんじゃねーよ。邪魔だ」
 ふたつに分かれた肉の塊の間から現れた《人割り》こと終零路は、冷酷にそう言った。残りのふたりのホームレスを一瞥いちべつすると、彼らは一目散に逃げていった。
「見ねえ顔だな……と思ったら、こないだの白虎のトンファー野郎じゃねえか。てめーも参加してやがったのか。ご苦労なこった」
 零路が巨大な斬馬刀を片手でひとぎすると、辺りにホームレスの赤黒い血と臓物がべちゃっと飛び散った。騒ぎを聞いて駆けつけてきたのか、周囲に地下通路の住人たちが集まってきた。彼らはふたつに別れた死体をみて震えあがり、悲鳴を上げた。
「おら! 見せもんじゃねーぞ!」
 終零路が怒鳴ると、ホームレスたちは蜘蛛くもの子を散らすように逃げていった。
「あの赤毛のババアは一緒じゃねえのか」
 終零路はぼくの方に向きなおり、不満気にそう言った。
「赤毛? 酉野先生のことか?」
「ああ、たしかそんな名前だったな。さっきの借りを返してやりたかったんだが。まあいいや。てめえらもついでにぶち殺してやる」
 そう言って、終零路は斬馬刀の切っ先をぼくに向けた。先ほどまで酉野先生たちと交戦していたのか。羽柴は始末して、零路をうまくいてこっちへやってきた、というところか? 響ちゃんは果たして無事なのだろうか。
「背中の眼帯野郎ごと、まっぷたつにかち割ってやるぜ。おっと、二割る二だから、四か」
 何がおかしいのか、《人割り》終零路は狂ったようにひとりでげらげらと笑い出した。
「下手に動かねえ方がいいぞお。ここには《介錯》してくれるルリルリはいねえからなあ。中途半端なところちょん切られて、のたうち回りたくねえだろお?」意地の悪い笑みを浮かべながら、終零路は言った。
 ぼくは戦慄せんりつしながらも、頭を必死に働かせた。飛鳥先輩を背負いながら、彼を撒くことは不可能だろう。彼を捨てて逃げるか? その場合、彼は間違いなく殺されるだろう。そうでなくとも、いつ死んでもおかしくないほどの重傷だ。仲間を見捨てて、自分だけ生き延びるか?
 そうこう悩んでいるうちに、終零路が眼の前まで迫っていた。当然だ。考える時間など与えてくれるはずもない。戦場では一瞬の迷いが死につながるのだ。
 終った。ジ・エンド。
 終零路は、斬馬刀を大きく振りあげた。
「介錯しまあーす。げらげら」
 ぼくの脳裏に、まっぷたつに割られた田代の姿が蘇った。
「死ねぐぎゅ」
 ぼくが眼を閉じた瞬間、終零路は舌でもんだのか、珍妙なセリフを発した。同時に斬馬刀が地面に振りおろされ、ただしぼくらをけ、地面に衝突して、がぎいいん、と、思わず耳をふさぎたくなる高周波の金属音をとどろかせた。
 振り向いて見ると、終零路の顔面をコバルトブルーのスニーカーが踏みつけていた。終零路はそのまま昏倒こんとうし、頭から地面に派手にダイブした。
「危ないところでした」
 ぼくらを窮地から救ってくれたのは、響ちゃんだった。まるでアクション映画のヒーローように絶妙なタイミングで現れた彼女は最高にかっこよく映り、ぼくの心臓はときめいた。こんなに興奮したのは、一年前にはじめて麗那先輩と出会ったとき以来かもしれない。
「大丈夫ですか。縁人先輩」
「ぼくは問題ない。飛鳥先輩が」
「酉野先生は一緒じゃ……?」
 響ちゃんにそう聞かれた瞬間、ぼくは口をつぐんだ。脳裏に酉野先生の最期が蘇り、押し殺したはずの感情の奔流ほんりゅうがふたたび襲いかかってきたが、今は泣いてる場合じゃない。ぼくは何も言えなかったけれど、顔に出ていたのか、察したように響ちゃんは終零路に向きなおり、言った。
「私が時間を稼ぎます。出口までいけば陽動班と合流できるはずです。水無月先輩を連れて、早く」
 終零路は鼻血を垂れ流して響ちゃんを睨みつけていた。そしてきえええと狂気じみた疳高かんだかい叫び声とともに響ちゃんに襲いかかっていった。
 斬馬刀が、響ちゃんの頭を捉えた。……と言っても、髪の毛だけだったが。
 必殺の一撃を紙一重でかわされた終零路は、がら空きとなったボディに掌底を打ちこまれ、体をくの字に曲げてのけぞった。
「そんな打撃がおれ様に効くとでも思って、うげえ」
 終零路は気持ち悪そうに呻き、口からどろどろの吐物をぶちまけた。
 先日、要組との戦いで《リーゼント》を背後から倒したのと同じ技だろう。おそらく《浸透勁しんとうけい》。響ちゃんは衝撃を集中させる箇所を自在に操れる達人。終零路の筋肉のよろいを通して、内臓に直に衝撃を与えたのだろう。酉野先生のハンマー並の打撃すら耐えられる肉体も、浸透勁の前では無力らしい。
「ざけやがって、このアマ」
 終零路が眼を血走らせて叫んだ。そして狂気に満ちた笑みを浮かべ、響ちゃんを見すえて舌なめずりをした。
「てめえはすぐには殺さねえ。手足をぶっちぎって、犯しながら殺してやんぜ。けけけけけけ」
「はやく!」
 響ちゃんは、ぼくを促すように叫んだ。
「わかった。無理するなよ」
 ぼくは飛鳥先輩を背負い、出口に向けてふたたび走り出した。
 今は響ちゃんを信じて任せるしかない。終零路が一騎当千《人割り》と呼ばれる猛者でも、おそらく一対一なら響ちゃんは殺せないだろう。一撃必殺、防御無視の破壊力を持つ《人割り》の斬撃でも当たらなければ無意味。響ちゃんは敵の攻撃をかわす達人だ。敵の援軍さえこなければ何とかなる。
 ぼくよりもいくぶん背が高く、体重もある飛鳥先輩を担いで延々と走り続けるのは決して楽ではなかったが、そこは訓練で養った気力、根性で補った。飛鳥先輩の命運はぼくにかかっていたし、まだ青龍学院の追手を完全にいたとは限らないからだ。途中で何人かのホームレスとすれちがったが、ぼくを見るなり彼らは眼を背け、身を隠した。先ほど終零路が鉄パイプ男をまっぷたつにした時に大量の返り血を浴びたせいかもしれない。
 そのまま、ぼくらは地下通路の出口を目指して、ひたすら走り続けた。
 

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