極楽戦争 - End of End 著・富士見永人

 第二章「陥穽かんせい

   8

 ベッドが固い。体が痛い。
 次に眼がめたとき、ぼくはひんやりとした窓のないコンクリート造りの独房にいた。ぼくは何時間くらい気を失っていたのだろう。
 これからぼくはどうなる? 上官を襲った反逆罪で処刑されるのか、それともスパイの濡れ衣を着せられて処刑されるのか。いずれにせよ、悪い予感しかしない。
「よろこべ、面会だ」
 鉄格子の外から看守らしき男が、やけに気持ち悪い笑みを浮かべて言った。スパイ容疑のかかっているぼくに、面会?
「えーんどーぅえーんどぉー、会いたかったぞぉー」
 やってきたのは、左頬に大きなガーゼを当て、首にコルセットを巻いた谷垣と、数人の帝派らしき生徒たちだった。看守が鉄格子の扉を開けると、彼らは無防備にもこちらへやってきた。隙を見て脱走できないかと一瞬考えたが、扉には帯刀した看守がいて、ここが学園のどの辺にあるのかもよくわからず、無謀だと判断した。
「死の宣告でもしに来たんですか」
 ぼくがそう言うと、谷垣は無言でぼくを蹴飛ばした。動作が緩慢なのでよけることも防御することもできたけど、衝撃を殺しつつあえて蹴られたふりをした。下手に抵抗したら何をされるかわかったもんじゃない。谷垣を殴ったときも響ちゃんがぼくを気絶させてくれなかったら、今ごろ墓の下にしてもおかしくないのだ。
「君はまだ殺さんよ。まだ容疑が確定してはいないのでね。しかし、上官への反逆罪で、今この場で、この学年主任谷垣自らが、貴様を裁く」
 よかった。まだ生き延びるチャンスは与えられているらしい。……と安心するのも束の間、すぐに谷垣の(正確には帝の)取り巻き連中によってぼくは羽交締はがいじめにされ、幾多の戦闘ですでにぼろぼろになった学生服とその下に来ていたシャツを脱がされ、上半身裸の格好になった。くそ、よくもぼくの裸を。麗那先輩にも見せたことないのに。
「覚悟するんだな。うひひひひひ」
 谷垣の顔がいやらしく歪み、その手には黒い革製の一本むちが握られていた。SMなどで使用される複数本のいわゆるバラ鞭とは違い、力が一点に集中するためダメージが大変すさまじく、やり方しだいでは外傷性ショックで死に至る危険性もある。谷垣は二年G組生徒の間では《獄長》《変態SM教師》などと呼ばれ、たいへん評判が悪い。ぼくは実際に見たことはなかったが、校則違反の生徒を男女問わずひっとらえ、こうして《教育的指導》を加えていたのであろう。他のクラスの女生徒が鞭打ち刑にされ、痛みで一日中泣いていたという噂も聞いた。
「さあ、いい声で泣くんだぞぅ」
 ひゅうんっ、と、鞭の先端が空気を裂く音が聴こえ、次の瞬間ぱあんという激しい音とともに、ぼくの胸から腹にかけての広範囲に焼けるような痛みが走った。子供のころ背中を平手でたたいて赤い手形を残す《もみじ》というろくでもない遊びが流行はやっていたが、それの何十倍にも相当する激痛だった。
「良いご趣味で」
 ……と、皮肉のひとつでも言ってやりたかったが、もっと事態が悪化しそうだったのでやめておいた。というか、痛さのあまり声も出ない。
 ぼくは、何度も何度も、叩かれた。皮膚が裂け、血や細胞液がにじみ出ているにもかかわらず、谷垣はぼくをいたぶり続けた。もう痛みを通りこしてだんだん感覚がおかしくなり、ぼく自身もおかしくなってしまいそうだった。まだ殺さないと谷垣は言ったが、このままだとうっかり殺されてしまうかもしれない。酉野先生を侮辱されたとはいえ、考えもなく短絡的に反撃してしまったことをぼくは悔いた。勝てる見込みのない戦をしてはならないのだ。
「や、やめ」
 ぼくは涙眼であごをがくがくと震わせながら、谷垣に哀願した。もうプライドもへったくれもない。とにかく限界だった。この状況を何とかしないと死んでしまう、そんな気がした。
「ふん。ようやく自分の身の程を思い知ったかね。やめてほしければ、下層の下僕らしく、きちんとひざまずいてわんか。そうすれば、考えてやらんでもないぞ?」
 空気を読んだ取り巻きの生徒がぼくを解放した。もはや立つ余力すら残ってないぼくは膝からくずれ落ち、非人間的かつ屈辱的な四つんばいの姿勢になった。
「や、やめて、くだひゃい」
 もうまともにしゃべることすらできなかったが、とにかくぼくは哀願した。
「聞こえんぞオ。口がきけんのなら、態度で示さんかっ。ほら、わしの靴をめろ」
 どん、と、ぼくの眼の前に谷垣の高そうな黒塗りのローファーが置かれた。
 相手が麗那先輩だったらご褒美だったかもしれないが、あいにく現実は非情で、眼の前にいるのは権力の上に胡座あぐらをかき、まるまる肥え太った中年のおっさんである。これ以上の屈辱はそうそうないだろう。しかし、生き残るためには、この屈辱を受け入れなければならない。この狂った世界で美しくあろうとすれば死ぬ、そんなのは御免だった。泥をすすってでも生き延びたいと、ぼくは願った。そうだ、相手は麗那先輩だ。汚い中年のオヤジではなく、麗那先輩。ほーら、麗那先輩の靴だぞー。
 意識が朦朧もうろうとしていたせいか、だんだんと眼の前にいるのが麗那先輩であるかのような錯覚に陥り、ぼくは彼女の靴を舐めた。
「見たまえよ君たち。本当に舐めおったぞ、この小僧。ふひ、ひひひひひ」
 谷垣が下卑げびた笑い声でそう言うと、ぼくを押さえつけていた帝派の下僕たちも同調して一斉に笑い出した。悔しさのせいか、ぼくの眼から勝手に涙がこぼれ落ちた。谷垣を喜ばせるだけだとわかっていても、止まらなかった。
 それで満足したのか、谷垣は勝ち誇ったように高笑いを続けながら、傷だらけのぼくを放置して帰っていった。全身がひりひり痛すぎて頭がヘンになりそうだった。江口先生、助けてください。

 それから何時間かすると、谷垣にやられた傷がだんだんと蚯蚓腫みみずばれを起こし、まるで皮膚の下で百足むかででもっているかのようになり、自分の体ながら大変気持ち悪かった。これが近未来SF小説なら、自分の脳みそを機械の体に移植してしまいたいとまで思ったくらいだ。激痛のあまり夜もろくに眠れず(そもそも光の差さない独房にいるので昼夜の感覚も麻痺していた)、ただベッドで寝そべり、ときどき看守の持ってくる《餌》を食べるだけの非人間的な日々。庭先で首輪につながれた犬になったような気分だ。曜日の感覚も次第に麻痺していった。今日は何月何日何曜日だろう。すごく人生の時間を無駄にしている気分だった。こんな日々が延々と続くなら、いっそ死んでしまいたいとまで思うようになっていた。もう精神的にどこかおかしくなっていたのかもしれない。
 早く外に出たい。このままぼくは殺されるのだろうか。
 こんなことなら素直に乾さんの誘いに乗って赤鳳隊に入隊しておくんだった、と、ぼくは後悔していた。この白虎学園では、ぼくら《下層》の人間に人権などないのだ。ここを卒業して政府軍の軍人になったところで、同じような差別が待っているだけじゃないのか。酉野先生のように生徒想いの、人の上に立つにふさわしい器を持った《本物》が、谷垣のような変態SM教師にあごでこき使われ死んでいく。こんなくだらない組織はさっさと滅んでしまえばいい。反乱軍でも赤鳳隊でもいいから、このろくでもない猿山をぶち壊してくれ。
「円藤くん、大丈夫?」
 ぼくが危険思想に明け暮れていると、ふと天使の声が割りこんできた。
 振り向くと、江口先生が鉄柵の向うで心配そうにぼくを見つめていた。後ろには看守もいた。
「先生」
 救いの女神の来訪に、思わず涙がこぼれた。
 看守は《檻》の扉を開け、江口先生を中に入れると、ふたたび扉を閉め、「妙な真似をしたら殺すからな」と言って鋭い眼でぼくを睨みつけ、懐に抱えたミセス・ドーナッツ(通称ミセド)の紙袋の中からドーナッツを取り出して食べはじめた。
「ひどいことをするわね」
 江口先生はぼくの体中にできた蚯蚓腫みみずばれを見て眉をひそめ、持ってきた救急箱から消毒液とガーゼ、包帯を取り出した。
「ちょっとみるけど、我慢してね」
 江口先生が消毒液を染みこませたガーゼを当てると、激痛のあまりぼくは絶叫し、のたうち回った。
「あっ。ちょっと、動かないで」
 江口先生はぼくを押さえこもうとしたが、女の細腕ではどうにもならなかった。いくら彼女が軍にいたとはいっても退役してから何年も経っているだろうし、こっちも学生とはいえ日々の訓練で鍛えあげられている。男女の体格差や筋力の差は歴然だ。麗那先輩が異常なのである。
「ちょっと、看守さん。ドーナッツ食べてないで、こっち来て手伝って」
 江口先生が叫ぶと、栗鼠りすのように頬をふくらませた看守が不承不承という顔で中へ入ってきた。背後から羽交締はがいじめするような格好で、看守がぼくを押さえつけた。谷垣に傷めつけられた時の恐怖が蘇り、ぼくは「ひ」とうめき、がたがたと震えあがった。看守は三十くらいの大柄な男で、体格もかなりがっちりしていて、ぼくが暴れようとしたところでびくともしなかった。彼を倒して逃走しようかとも思ったが、難しそうだ。
「こら。ぎゃーぎゃー騒ぐな。男のくせに」
 傷に消毒液をつけられてわめき散らしていたぼくの口を、看守のごつい手がふさいだ。しばらくの間、ぼくは体の広範囲にわたる傷口に消毒液を塗りつけられ、地獄の苦痛を味わった。消毒が終わり、ガーゼを当てて包帯を巻き終えた江口先生は、去り際に看守の眼を盗んでぼくに小さな錠剤の入った小袋を手渡した。おそらく痛み止めだろう。彼女の優しさのせいか、それともいつ死の宣告がやってくるかもわからない不安感のせいか、とにかくぼくは、今晩ひっそりと、また泣いた。食後は痛み止めが効いたのか、死んだようにぐっすりと眠りについた。
 

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