極楽戦争 - End of End 著・富士見永人

 第二章「陥穽かんせい

   9

「おい、出ろ。釈放だ」
 あれからさらに二、三日ほど後、看守がやってきて突然そんなことを言われた。一体どういう風の吹き回しだろうと疑問に思ったが、とりあえずこのうんざりするような独房から出られるのはありがたい。しかし、あまりいい予感はしなかった。泳がせておいてボロが出るのを待つという作戦かと、つい疑ってしまう。それとも、下北沢らがスパイだったという有力な証拠でも出てきたのか。
 ひさびさに学舎に戻ると、時刻は昼の十二時を回っていた。扉ごしに教室内のカレンダーを覗いてみたところ、今日は十月二十五日火曜日らしい。谷垣を殴って独房に閉じこめられたのが十五日の土曜だとすると、まる十日間を牢の中で過ごしていたということになる。
「よお」
 学舎に戻ると、鈴子と響ちゃんが迎えてくれた。
「怪我、大丈夫か?」
 鈴子がそう尋ねたので、ぼくは「まあ、何とかね」と返しておいた。本当は谷垣にやられた傷がまだ痛むけど、江口先生がくれた痛み止めのおかげで我慢できないほどでもなかった。
「あの」
 鈴子の後ろから、響ちゃんが申しわけなさそうにひょっこり現れ、小さい声で言った。
「縁人先輩。こないだはごめんなさい。とっさのこととはいえ……あの、首、大丈夫ですか?」
 本来なら感謝すべきはぼくの方だというのに。どこまでかわいいんだろう、この娘は。もう抱きしめたい。
「いや、ありがとう。響ちゃんがああしてくれなかったら、ぼくは今ごろここにいなかったかもしれない。もっとも、首の皮一枚つながっただけかもしれないけどね」
 冗談のつもりで言ったのだけれど、鈴子も響ちゃんも笑わなかった。
「冗談だよ。まあ、今は人手不足だし、何の因果かこうして釈放されたわけだし、スパイ容疑さえかわせれば、何とかなるんじゃないかな。はは、ははは」
 鈴子が真顔のまま言った。
「冗談でも、んなこと口にすんな。あたしらが絶対なんとかしてあんたの疑いを晴らしてやるから、最後まであきらめんなよ」
 鈴子は響ちゃんの方を向いて同意を求めた。「なあ、響ちゃん」
 響ちゃんはうなずいた。「ええ、もちろんですよ。私もまだ疑われているみたいですが……おかしいです。理不尽すぎます、こんなの」
 彼女たちの友情と好意に、ぼくは眼の奥からこみあげてくる熱い何かを必死で抑えようとした。
「おいおい。泣くなよ。大丈夫だって、何とかしてやるから」
 そうじゃない。そう言おうとして、しかし何だか照れくさくて口に出せなかった。ぼくはいい友達に恵まれた。彼女たちとの出会いに感謝。
「えー、おっほん」
 唐突に背後でせきばらいが聞こえ、振り向くとそこには、あのにっくき帝派の《中年オヤジ》こと八坂と、その取り巻き数人が立っていた。
「円藤縁人くん。司令部の谷垣主任がお呼びである。私と一緒に来なさい」
 八坂がそう言うと、鈴子と響ちゃんの顔がこわばった。
「そうだ。ちょうどいい。君たちふたりも一緒にきなさい。伊賀野響さん、亜連鈴子さん」
 ぼくらは、わけのわからないまま司令部へと連れていかれた。
 司令部室の豪奢ごうしゃな扉を開けると、そこには生理的嫌悪感を覚える不快な笑みを浮かべた谷垣が中央の席で相変わらず偉そうに鎮座ちんざしていた。隣には谷垣の《金魚の糞》こと射撃教官の根津も座っていた。
「えんどーぅえんどぉー。会いたかったぞお」
 谷垣の不快な笑みがさらにいやらしく歪められた。今度はいったい何の用だろう。どうせろくな用じゃないんだろうけれど。
「喜ぶがいい。円藤、お前に汚名返上のチャンスを与えてやろう」
「はあ」
 これから課されるであろう何かしらの《罰ゲーム》に正直うんざりしていたので、つい返事が適当になってしまった。また怒鳴られるかと思いきや、谷垣はそんなぼくを無視して響ちゃんに向き直り、「君にもだよ。伊賀野くん」と足した。
 あの地獄の夢葉救出作戦からほぼ無事に戻ったのはぼくと響ちゃんだけ。夢葉がさらわれた時も陽動班として参加していたし、響ちゃんも疑われていても不思議ではなかった。とんだ濡れ衣だろうが。その響ちゃんは、どう反応したらいいのかわからなかったのか、ぼくと同じように「はあ」と曖昧な返事をした。
「亜蓮くん。君もついでにどうだね。軍への忠誠を示すチャンスだ。我が白虎学園は、志ある若者の任務への参加を、誰であろうとも歓迎する」
 露骨な建前だとわかっているのか、鈴子は反応せずにただむすっとした顔で、ただ黙りこくってそっぽを向いていた。
 谷垣が根津の方を見てあごをくい、と動かすと、今度は根津が作戦書らしきものを見ながら口を開いた。
「今回君たちに参加してもらう任務は、青龍学院に捕らえられた東陽夢葉嬢の救出作戦の第二陣だ。調査の結果、前回の任務は下北沢と羽柴の妨害容疑により、失敗に終った。われわれ司令部はこの任務の失敗を不問とし、ふたたび君たちに青龍学院に潜入してもらい、東陽夢葉嬢を連れ戻してもらうことにした」
 谷垣が付け加えた。「本音を言えば、軍も人手不足でな。君たちにかかった疑いはまだ完全に払拭ふっしょくされたわけではないが、今回の任務を成功させれば、君たちの忠誠と貢献を認め、晴れて無罪放免としようではないか」
 ぼくは思った。要は、夢葉救出の頭数をそろえるついでにぼくらを試そうというわけだ。夢葉が学園に戻れば戦力面で劣る反乱軍は切り札を失い、大きな痛手となる。ぼくが反乱軍の回し者なら、夢葉の救出は明らかな裏切りだ。お姫様救出という悲願も果たせて一石二鳥。そして響ちゃんや鈴子といった《下層》の人間で隊を組むのは、ぼくが反乱軍側に寝返って任務を頓挫とんざさせようとした時のための保険だろう。つまりは鉄砲玉というわけだ。
「何か質問はあるかね」と、谷垣が言った。
 ぼくは臆さずストレートに訊いた。「侵入経路、それと他の参加メンバーを教えていただけますか」
「作戦の具体的な内容は、後日連絡するよ。メンバーはまだ君たち三人だけで、作戦のリーダーも決まっていない状況だ。こんなとき、酉野くんがいてくれればなあ。惜しい人材をなくした」
 全然惜しんでなさそうな様子で、谷垣は言った。こないださんざん彼女を侮辱しておいて、と、ぼくはまた腹を立てたが、抑えた。ここでまた彼を殴り飛ばしてしまったら今度こそ殺されるかもしれない。そしてさりげなく鈴子が参加枠に入れられているが、彼女が反論する様子はなかった。まあ断ったところで赤紙を送るだけだろうし、そうでなくても貢献度の稼げるこの任務に鈴子は自由枠で参加するかもしれない。
「質問はもうないかね。それなら話は以上だ。授業に戻りたまえ。……ああ、円藤は残りなさい」
 怪訝けげんそうに眉をひそめて鈴子と響ちゃんは司令部室を出た。
「ぼくにまだ何か御用でしょうか」
「君に大事な話をするのを忘れていたよ」
 谷垣はまた例のいやらしい笑みを浮かべて、言った。隣の根津と顔を見あわせ、内緒話をする井戸端会議の中年女のようにくすくす笑い出す。正直言って非常に不快だった。
 谷垣は意味ありげに間を置き、こほん、と、わざとらしく咳払いをした。ぼくは緊張のあまり唾を飲みこんだ。
「君の母君は平和町で暮らしているそうだね。あそこは治安の悪さで有名なスラム街じゃないか」谷垣が意地悪く、勿体ぶったように言った。
「ええ、まあ。友人に警護を頼んでいるので大丈夫だとは思いますけど」
「ふむ。なるほどな。だが、それだけでは君も不安だろう。我々としても、わが校の生徒のご家族がスラム街暮らしを余儀なくされているというのは心苦しい。そこでだ」
 ぼくは続きが読めた。まさかこの男、母さんを……
「君の母君を、我々の手で保護することにした。君が当校の生徒である以上、母君の身の安全は我々が保障する。どうだ。素晴らしい提案だろう」
 ぼくには谷垣の『我々を裏切ったら、母君の身の安全の保障はない』という副音声が、はっきりと聞こえた。どこまで下卑た男なんだろうとぼくは呆れ、同時に母を人質に捕られたことにまた腹を立てた。彼らは心の奥底ではまだぼくのことを疑っており、母はぼくがスパイだった時のための保険というわけだ。が、裏を返せばそうまでしてぼくを起用しなければならないほど、学園は人手不足ということなのだろうか。
「君には期待しているよ、円藤くん。君なら必ずや、東陽夢葉嬢を無事に連れ戻してくると信じている」
 いつだったか、この軍の司令部は「結果を出してこい」と部下に無茶ぶりをするだけで作戦内容はまるでデタラメだと酉野先生がぼやいていた。一回目の夢葉救出作戦も酉野先生の独断でかなりアドリブをきかせていたらしい。それもそのはず、《上層》、特に《特権》の連中に関しては、ろくに戦線にも出ず机の上でお勉強ばかりやっている戦知らずも多い。任務の大半は現場の裁量に委ねられているが、手柄は彼ら司令部が独占するというわけだ。しかし、司令部がその気になれば、有志なんて集めなくても強制召集でいくらでも人員なんて集められるはず。彼らは本気で夢葉を救出する気があるのだろうか。
「はい。必ずご期待に応え、夢葉を連れ戻してまいります」
 谷垣の見え透いた偽りの期待に、ぼくも偽りの態度で応えた。ただ、夢葉を救い出したいという気持ちにだけは偽りはない。
 司令部室を出ると、外で待っていた鈴子と響が顔を曇らせて立っていた。どうやらぼくと谷垣の話を盗み聞きしていたらしい。
「汚え真似しやがる」と、鈴子が憤りを露わにした。
 

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