極楽戦争 - End of End

著・富士見永人
第四章「捲土重来けんどちょうらい


 体のあちこちが痛い。麗那先輩の愛の鞭を受けすぎた結果、ぼくの足腰は要介護老人のごとくがくがく踊り狂い、そのへんに落ちていた木の枝をひろって杖代わりに使用したがすぐ折れた。ちょっとでも気を抜けば地面とキスしそうなこの老体は、何とか校舎によって支えられながら、ゆっくりと一歩ずつ、白衣の天使(Fカップ)のいる保健室目指して、歩を進めていくのであった。
 ぼくが麗那先輩と戯れていたのは昼休みで、保健室にたどり着くと、そこには残念ながら天使は不在だった。もうすぐ午後の授業が始まるというのに、白衣の天使に回復魔法をかけてもらうことなく、満身創痍のこの肉体で午後の苛烈かれつな訓練を耐え抜かなければならないのかと思うと、気が鉛のように重くなる。
 あきらめて保健室を出ようと思ったとき、入口側の一番端のベッドに誰かが寝ていることに気づいた。
 ……赤月瑠璃だった。
 幸い眠っているようだったが、彼女はろくに拘束されていなかった。おそらく慢性的満床状態の軍病院でたらい回しにされたあげく、心やさしい白衣の天使様の慈悲の心によって救われたのだろうが、今ここにぼくがいなかったら、眼醒めてそのまま逃げ出してしまってもおかしくない。
「あら、円藤くん」
 そんなことを考えていると、腕に《モスラ・バーガー》の袋を抱えた白衣の天使様が、ご降臨なさった。
 ぼくは赤月瑠璃を指さし、なかばこの天使を非難するように言った。
「何考えてるんですか、先生。こいつは敵ですよ。十万歩ゆずって治療するのはいいとしても、ろくに拘束もせずに放置するなんて」
「大丈夫よ。手術用の麻酔が効いてるから、ちょっとやそっとじゃ起きないわ。それに」
 机の上に《モスラ・バーガー》の袋を置くと、江口先生は普段の明るいホーリーエンジェルのそれとは異なり、神妙な面持ちで語った。
「彼女も、あなたと同じこの戦の犠牲者よ。私は白虎学園の養護教諭である前に、ひとりの医療従事者。だったら彼女を助けない理由はない。そうでしょう?」
「しかし、何の拘束もせずに、敵をこんなところに寝かせておくのは。先生の身が危険です。相手は青龍学院のあの《首刈り》です」
「こう見えても軍隊経験もあるのよ。それに薬も効いてるし浅い怪我でもないから、起きてもろくに動けないわ」
「戦えなくても、脱走する可能性は」
 ぼくがそう言いかけると、江口先生は顔をしかめ、心底鬱陶うっとうしそうに、「ああ、もう、うるさい。じゃあ、円藤くんが適当に縛っといてよ」と言い、モスラ・バーガーの袋の中からフライドポテトを四、五本掴みだし、口の中に放りこんだ。そう、彼女は医療に関してはプロフェッショナルであるが、白虎学園の教諭としてはかなりいいかげんな仕事っぷりで有名で、酉野先生に負けず劣らず大雑把な人でもある。ぼくの怪我を診せたところ、ぜんぜん大したことないと言わんばかりに応急処置用の冷却スプレーを吹きかけられました。おしまい。
 ぼくが赤月瑠璃を適当に縛る荷づくり用のビニール紐でも適当に調達するべく保健室を出ようとした時、いきなり保健室の引き戸がガラガラピシャと五月蝿うるさい音をたてて開いた。
「失礼しまあーす」
 ぼくの眼の前に、白虎学園の学生服に身をつつんだ中年男が立っていた。否、中年男然とした、高校生離れした老け顔にだらしなく出っ張ったビール腹、ややパーマのかかった七三分けの十七歳の少年……帝派の重鎮じゅうちんにして生徒会書記、白虎学園三年B組、八坂金一だった。彼の背後には彼に金魚のふんのごとくいつも一緒について回る金縁眼鏡の男と、いつかぼくが頭を踏んづけて殺した青龍学院の男によく似た坊主頭の男がいた。
 八坂がぼくを押しのけて保健室に入ってくると、江口先生は露骨に顔を曇らせた。
「何の用かしら。いま食事中なんだけど」
「いえ、大した用ではありませんよ。そこで寝ている《重要参考人》をお借りするだけです」
 八坂はベッドの上で寝ている赤月瑠璃を指さしてそう言った。
「彼女はまだまともに問答できる状態じゃないわ。出直してきて」
「しかしですなあ。《会長》自ら彼女に訊きたいことがある、と。だから私がここにきたわけでして。つまり、これは会長のご意思……」
 露骨に虎の威をきつねだった。いや、狐というよりはたぬきだが。
「関係ないわ、そんなの」江口先生は、突き返すようにそう言った。帝の名さえ出せば従う、そう踏んでいたであろう八坂の眉が、ぴくりと動いたのがわかった。
「何であれ、私の患者を、私の許可なく保健室の外へ連れ出すことは、私が許しません」
 堂々と、毅然きぜんと、はっきりと、そう江口先生は言い放った。彼女の顔は自分の仕事に誇りを持った《医師》そのものだった。
 八坂が豪快に、しかしどこかわざとらしくうわっはっはっはと大声で笑い出すと、江口先生の顔がさらに険しくなっていく。病室でうるさくするもんじゃあない。白衣の天使の顔に小皺こじわでもできようものなら、地の果てまでも追ってこいつらを地獄の底にたたきおとしてくれようぞ。
「ほう。それはつまり、《会長》の、ひいては司令部の意向に逆らうという意味ですかな」
 いやらしい眼で江口先生をめまわしながら、八坂は落ちつきはらった声でそう言った。彼は腐っても百戦錬磨の武闘派である。麗那先輩や飛鳥先輩、要玄人といった例外には劣るだろうが、その実力は確実に学園屈指のもの。おそらく、ぼくと江口先生が同時にかかっても、こいつには勝てない。まして後ろにもうふたりもいるのだ。せめてもうひとり、響ちゃんでもいれば何とかなるかもしれないが。
 高まる緊張に、ぼくは思わず息を飲んだ。赤月瑠璃のひとりやふたりさっさと差しだして楽になりたかったが、そんなことをしたら白衣の天使に千回、万回後悔するように代を継いで骨髄にしみわたるまで懲罰されるにちがいない。ちょっとされてみたい気もするけれど。
 江口先生はさらに付け加えた。
「どうしても彼女に訊きたいことがあるなら、彼女の意識が戻ったときに、ここで訊いて。もちろん私がいる時にね。私には、彼女が快復するまで容態を見守る責務があるわ」
「その前に、貴女あなたは白虎学園の養護教諭でしょう。学園、つまり司令部は貴女の雇い主です。貴女には司令部の意向に従う責務がある」
 八坂は貼りついたような笑みを浮かべ、あくまで余裕綽々しゃくしゃくとしていた。実際にこの場を力ずくで制圧することもできるだろうし、バックには司令部もついているのだから当然だ。
 しかし、困ったことになった。ぼくとしてはもちろんこのいけ好かない中年男(比喩)よりも、白衣の天使に味方したい。が、ただでさえスパイ疑惑をかけられているのに、ここでまた司令部にたてついたりしたら、いよいよこの学園での立場も危うくなる。母の件や、鈴子が開放されるまでは、何としてもそれは避けたかった。
 ぼくはどうするべきだ?
「君は……どっちの味方かね。円藤縁人くん」
 唐突に、八坂がぼくに訊ねた。江口先生の視線もぼくに向けられた。
 迷える子羊たるぼくに容赦なく突きつけられる、二択。
 ぼくがもし八坂に味方すると言ったところで、江口先生は……退かないだろうな。彼女の眼からは、まるで赤月瑠璃を護る守護天使ガーディアン・エンジェルのような意志が感じられる。なぜここまでしてこの白衣の天使は、赤月瑠璃に固執するのだろうか? 敵側の人間なのだから、ここで引き渡したって誰も文句を言うやつなんていやしないし、医療従事者としての先生の名誉が傷物になるわけでもない。
 でも、そういえば、江口先生はいつか戦で傷ついたぼくを温かく抱きしめてくれて、悪いのは全部この戦争で、理想やきれいごとばかり並べたてて子どもたちまで戦に駆り出すこの世界そのものが間違っている、と、そんなことを言っていた。
 赤月瑠璃のことも、江口先生は戦の犠牲者だと思っているのかもしれない。
 あの凶悪な《首刈り》でさえ。
 いや、それはぼくが親友や恩師を殺された憎しみに駆られてそう思いこんでいるだけで、本当は江口先生が思っているように、赤月瑠璃は不幸にも戦に巻きこまれてしまっただけの、小説家を夢見るひとりの女の子、ということなのだろうか。
 わからない。ぼくには、わからなかった。
 ただひとつ確かなことは、あのときにぼくの傷を癒やしてくれた江口先生の言葉と温もりは本物で、ぼくには彼女を裏切って権力にびるという、明日死んだら絶対に地獄の底で後悔しつづけることになりそうな下賤げせんな選択肢は、はなから与えられていないということだ。
 わかりましたよ、江口先生。貴女について行きます。
 きっと貴女が向かう先は天国で、ぼくは地獄に落ちるだろうけれど、閻魔様の御前まででよければ、お供いたします。
 ぼくは、八坂を見据え、言う。
「彼女はあんたらが思っているほど軽傷じゃないですよ。ここでむりやり連れだして尋問するというのは、捕虜に対する虐待行為で、軍規にも人道にも反します」
 ぼくのような外道の口から、《人道》なんて言葉が出る日が来るとはね。
「なあるほど」
 八坂は心底面白そう、とでもいうようにわらった。これでぼくもふたたびあのろくでもない独房に逆戻りかな。せめて、鈴子の隣だったらいいな。
   
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