極楽戦争 - End of End

著・富士見永人
第四章「捲土重来けんどちょうらい


「江口先生、それに円藤くん」
 どことなく相手を威圧するような好戦的な笑みを浮かべていた八坂は表情を一変させ、またあの朗らかな、しかしどこか相手に付け入ろうとするようないやらしさのある笑みを顔に貼りつけた。
「あなたがたの考えは、よおくわかりました。江口先生、貴女は当学園の生徒たちを支える貴重な人材です。今日のところは、貴女のプロフェッショナル精神に免じて、退きましょう。ただし、もちろん司令部にこのことは報告させていただきますよ」
 八坂がそう述べると、彼の取り巻きが確認するように八坂の顔を見たが、八坂はあくまでも態度を変えなかった。「赤月瑠璃を連れてくるように」という任務を与えられた彼らにとっては作戦失敗ということになり、何らかのおとがめは受けるだろう。江口先生の剣幕を見て、力ずくで制圧することはできても自分たちも無事じゃ済まないと思ったのか、それとも白虎学園の守護天使様を傷つけたら自分たちの評判を悪くすると考えたのか。とにかく、連中がここで退いても油断はできない。
 八坂とその取り巻きふたりは、本当に何もせぬまま保健室を立ち去った。ぼくが踏み殺した青龍学院の坊主頭(によく似た八坂の取り巻き)が、不服そうにがらがらぴしゃりと、故意に大きな音を立てて威嚇するように扉を閉めた。彼らが去った後、江口先生は心底不快そうにあかんべーをした。何だか少女のようで可愛らしかった。
 それから江口先生は「はあ」と、大きなため息をついて、教員用の回転椅子に乱暴に腰かけた。
「ありがと、円藤くん。助かったわ」
「ぼくは大したことはしてないです。先生の揺るぎない不退転ふたいてんの意志が、連中を退けたんですよ」
 かっこつけて難しい言葉を使ってみるが、彼女はお構いなしに続けた。
「ううん、そんなことない。かっこよかったわ。正直、ちょっと怖かった。でも円藤くんが味方してくれたから、頑張れた。ありがとね」
 江口先生は天使のように愛らしい笑顔を浮かべると、ぼくの頬に軽く口づけをした。江口先生にとっては軽いお礼代わりのようなものだとわかっていても、ぼくにとっては心拍と血圧を急上昇させる劇薬である。オーケイ。ぼくは先生の笑顔とご褒美のおかげでもう少し頑張れそうです。
「でも先生。まだ油断は禁物ですよ。連中がこれであきらめるとは思えないです」
「そうね。何日かはここで寝泊まりした方がいいかも」
「ぼくも一緒に泊まりますよ。あいつらのことだから、闇夜に紛れて夜襲でもかけてくるに決まってる。どのみちまだ寮の部屋もろくにできてないですし」
 そう、ぼくが青龍学院に捕まっている間に、ぼくはこの学園では一度死に、学生寮のぼくの部屋にあったものは残酷にもすべて処分され、どっかの顔も知らない女生徒のスイーツな部屋と化してしまっていた。その後、代わりの部屋が与えられたものの、固いベッドとぼろぼろのタンスが置いてあるだけの独房と大差ない質の悪い部屋で、正直寝るのが苦痛なほどだった。母さんが買ってくれた布団まで捨ておって。それだけでもこの学園でクーデターを起こす動機としては充分だった。
「うれしいけど、危険よ」
 江口先生は首を横に振ったが、それでもぼくは食い下がった。
「どのみちぼくが先生に味方したことは連中が司令部にチクりますし、もともとスパイ疑惑のかかってる問題児ですから、今さらですよ。それよりも先生が危険にさらされているのに何もしないでいる方が、ぼくにとっては辛いです」
 精いっぱい格好つけたぼくの不退転の意志を見ると、江口先生はあきらめたように力なく、しかしどこか安堵したように「わかったわ」とだけ、言った。
「でも、危なくなったら、迷わず逃げてね。私の患者を守って円藤くんまで怪我しちゃったら、本末転倒」
「わかりましたよ」
 守る気もない約束を交わすぼく。赤月瑠璃が司令部にかっさらわれようとぼくにはどうでもいいが、それで江口先生が傷つくというなら話は別である。
「でも、どうします? 正直力ずくで来られたら勝ち目はないですよ」
 ぼくひとりが戦線に加わったところでしょせんは保健医と一兵卒で、連中の夜襲を退けて赤月瑠璃を守りぬくのは難しいだろう。連中は赤月瑠璃を手に入れればそれでいいのだから、最悪彼女のことはあきらめて、江口先生を守ることに専念しなければならない。現状では、そうすることしかできない。大和十三という上位互換の情報源が存在するのだから、連中が赤月瑠璃の回収をあきらめるという可能性もなくはないが、あまり期待しないほうがいいだろう。
「大丈夫よ。私に考えがあるわ。二、三日ぐらい時間を稼げれば、たぶん大丈夫」
 どうやら江口先生には少なからず勝算があるようだった。いずれにせよ、ぼくには協力者を募ることもできなければ(赤月瑠璃をかばいだてして司令部を敵に回すという荊棘いばらの道に響ちゃんや神楽先輩を巻きこむわけにもいかない)、この事態を打開するための策もない。ここは彼女の作戦に賭けてみるより他になかった。

 深夜になると、連中は予想どおり保健室に夜襲を仕かけてきた。
 江口先生が起きている間にぼくが仮眠をとってその後で交替するという予定だったのだが、連中は大それたことに一部隊使って窓と正面入口の両方から忍びこんできたのだ(一応施錠して簡単なバリケードは用意しておいたが、何の意味もなかった)。
 まぬけにもぼくが物音に叩き起こされたときには、すでにチェックメイト。赤月瑠璃の姿はそこにはなく、江口先生は両腕を縛られて、床に倒れていた。連中に殴られたせいか、右前頭部が赤黒くれあがっており、彼女の美しい唇には白い布切れが巻かれていた。保健室の白衣の天使を傷つけた罪は重い。八坂とその取り巻き連中は千回、万回後悔するように代を継いで骨髄にしみわたるまで懲罰する。
「先生、大丈夫ですか」
 ぼくが声をかけて軽く指で江口先生の肩をつつく(間違っても頭を殴られた人間を揺すってはならない)と、彼女はうっすら朦朧もうろうと眼をあけるや否や、一気に、その大きな眼をさらに大きく、ぎょっと見開いた。
 その視線はぼくにではなく、ぼくの背後に向けられていた。
「えーんどーう、えーんどぉー」
 聴いただけでぼくのはらわたが瞬間湯沸し器のように急激沸騰する、あの忌まわしい中年男性のような野太い声が聴こえた。
 そして、後頭部にひんやりと冷たく、固いものが突きつけられる。それが何であるかは、もはや考える意味もない。
「会いたかったぞぉー。おとなしく我々についてきてもらおうか。《会長》自ら、お前をご指名だぞー」
 江口先生が地面の上で必死にもがきながら、猿轡さるぐつわをはめられたその口でんーんーとわめいていたが、そんな彼女にはおかまいなしに、八坂と不愉快な仲間たちはぼくを拘束し、保健室を後にした。
   
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