極楽戦争 - End of End 著・富士見永人

 第四章「捲土重来けんどちょうらい

   9

 ぼくらは地下射撃場から階段を一気に駆け抜け、白虎学園校舎の一階に出た。時計の針はすでに午後十一時を回っており、秋の満月の光により銀色の菱型が幾重にも照射された廊下には、まったく人の気配はなく、静寂がただ支配していた。
 しかし相手はあの白虎学園の事実上の支配者、帝陽輝だ。彼の命令ひとつで二十四時間三百六十五日戦う親衛隊の存在を、忘れてはならない。一刻も早く車をジャックしてこの白虎学園の敷地内から出なければ、ぼくらはたちまち捕まり、今度こそ全員処刑されるだろう。そしてその足で重傷を負った江口先生を救うため、医者のもとに連れていかなければならない。
「まずいな。出血がひどい」
 大和が苦い顔をして言った。
 江口先生が腹部に負った傷は深く、彼女を背負った大和が自らの制服を破り圧迫止血を行ってはいるものの、何せ彼女を背負いながら走っている(人ひとり背負っているというのにぼくと赤月の全力疾走について来ている)ので、なかなか出血が止まらない。ぼくらが来た道には点々と江口先生の血の痕が残されており、追手を撒くのは難しいだろう。
 銀色の月光を浴びた江口先生の顔色は、陶器のように青白く見えた。ちょうど以前神楽先輩に輸血した直後の、酉野先生のようだった。急がなければ彼女はこのまま失血死してしまうだろう。
 施錠された正面玄関を避け、ぼくらはその反対側にある裏口を目指した。正面玄関を出てそのまま校庭を駆け抜けると、傍らに軍用車が止めてある車庫があるが、軍用車専用のガレージだけあってロックは厳重で、職員と一部生徒のみが持つカードキーを使わなければ中に入ることはできない。よってぼくらが目指すのは、裏口を抜け、駐輪場を通りすぎた先にある職員用の駐車場だ。当直の職員と警備員の車がいつも何台か止まっている。こっちは個人用の車で重火器なども積んでいないため、警備もザルである。ぼくが道先案内人を務め、先陣を切る。
「待ってください」
 赤月がぼくの制服のすそを引っ張ったが、体重の軽い彼女にぼくを完全に止めることはかなわず、ぼくが気づいて止まる刹那の間、半歩ほど引きずられた。
 彼女にぼくを止めた理由を訊く必要はなかった。
 ……待ち伏せだった。
「待っていたぞ、円藤縁人。白虎学園に仇なす謀反人よ」
 月明かりに照らされ、黄金色にかがやく美しく長い金髪が、群青ぐんじょうの星空の中を舞っていた。その髪の持ち主である男には見憶えがあった。制服の胸の一般生徒のそれとは異なる徽章きしょう、日本人離れした長く美しい金髪と長身、そして《特権》の連中にありがちな、いかにも上流とわんばかりの気品に満ちた、そのたたずまい。
 まずい。《御庭番》だ。
 白虎学園三年特務部、城金霧也しろがねきりや。戦の表舞台にはほとんど顔を出さないが、白虎学園内部に潜んだスパイの抹殺、青龍学院や反乱軍、赤鳳隊に忍びこんでの諜報や暗殺という裏の仕事を担う、通称《御庭番》と呼ばれる特務部を総括するおさ。なぜ特務部がこんな場所にいるのか。その答えは明らかだった。
 彼ら特務部は、帝一派に仇なす勢力を秘密裏に消している。そういう話を聞いたことがある。そしてそれはどうやら、真実らしい。
 城金の背後には三人の生徒たちがいた。おそらく彼らも特務部だろう。
 一人は、常にヘッドホンをかけて騒音のような音楽を周囲に撒き散らしている、二年C組の阿佐ヶ谷真太あさがやしんた。汎用性の高い刀やナイフを使う生徒が多い中、ぼくのトンファーよりもマイナーであると思われる三節棍さんせつこんの使い手。ブリーチで脱色した茶髪に校則違反のピアス、前の開いた制服の下に派手な髑髏どくろ柄のTシャツを着たチャラチャラした男。しかしその実力は学年で一、二を争うとも言われる猛者である。
 そして二人目。
「君も特務部だったとはね」
 三城美樹。鈴子の友人であり、ぼくのクラスメイト。肩まであるセミロングの茶髪と黒目がちな眼が印象的な女の子。鈴子と同じナイフ使いだが、その実力はせいぜい並で、特に何かに秀でているというわけでもなかった。特務部は際立って優秀な生徒しか入れないというが、彼女は爪を隠す有能な鷹だったのかもしれない。
「あんたにスパイ容疑がかかってたっていうのは聞いてたけど、まさか本当だったとはね。鈴子の友達を殺したくはないけど、これも任務だから。悪く思わないでね」
 半笑いでナイフをちらつかせてそんなことを言っても、全く説得力がなかった。
 そして、最後のひとりは……

「どうしてあなたがここにいるんですか。縁人先輩。まさか本当にスパイだったんですか? 信じていたのに」

 なんと、響ちゃんだった。
 なるほど、彼女ほどの実力者ならたしかに特務部からスカウトがあってもおかしくはなかったが、しかしよりにもよってこんなときに彼女が出てくるとは思ってもみなかった。最悪のタイミングだ。
 ぼくは彼女に言った。
「ごめんね。響ちゃん。こんなことを言っても信じてもらえないかもしれないけど、ぼくはスパイなんかしちゃいない。でっち上げだ。君と戦いたくはない」
 でも、それを避けることはできないのだろう、ともぼくは思っていた。それをすれば響ちゃんは間違いなく抗命罪で処罰されるだろうし、最悪ぼくと同様スパイ容疑にかけられて殺されるかもしれない。
「私もです。私も、先輩とは戦いたくありません。お願いします。どうか、武器を捨てて投降してください。もし先輩が無実と言うなら、私は信じます」
 前にいた城金が露骨に顔をしかめていたにもかかわらず、響ちゃんはぼくに、その可愛らしいおかっぱ頭を、下げた。
「悪いけど、それはできない」
 ぼくは、はっきりそう言った。
 もしそれをやれば、ぼくも江口先生も、何らかの方法で消される。この白虎学園の支配者に牙をいた者たちは任務中に謎の失踪を遂げたり、不幸な事故に遭うなどして、どういうわけかこの白虎学園からご退場となる。そういうものなのだ。あくまでも噂程度に聞いた話だが、さっき帝がぼくにはたらいた暴虐ぶりをかんがみればあながちデマというわけでもなさそうだった。
「ぼくは生き延びるために、ここを出なければならない。江口先生もだ。本当にごめんね。行かせてもらうよ」
「お友達ですか」赤月が、ぼくに訊いた。「すみませんが、手加減する余裕はありません」
「かまわない。でも、あくまでぼくらの目的は脱出だ」
 ぼくがそう言うと、赤月は黙って頷いた。
 まったく、運命とは残酷なものである。もしこれが誰かによって書かれた物語なのだとしたら、作者は血も涙もない悪魔のような人間にちがいない。
 でも、響ちゃんとてただ黙って殺されるほど軟弱ではない。隙を見てさっさと車を奪取して逃げられれば、望みはある。
「校舎内に狙撃兵が潜んでいるな。それも複数」大和が言った。
 大和は江口先生を背負っているから戦力としては数えられない。ぼくと赤月だけで《御庭番》四人を、狙撃兵による横槍をかわしながら、戦わなければならない。しかも赤月はすでに鈴子の銃撃によって、決して浅くはない傷を負っている。
「お前たちは袋のねずみだ。おとなしく縄につけば、命だけは助けてやろう。今はな」
 城金が金色の装飾付きの高価たかそうな鞘から、通常よりも少し長めの刀を、抜いた。彼がぼくたちに向かって歩み出すと、後ろの三人も徐々に距離をつめてくる。
 どうする。裏口から戻って正面入口を目指すか? 誰が待ち伏せているかもわからないのに? 江口先生の残した血痕を辿たどって、八坂や他の追手もやってくるかもしれないというのに?
 厄介なのは狙撃兵だ。城金たちと交戦している間はさすがに撃ってくることはないだろうが、しんば連中の包囲網を突破できても、彼らの格好の的になる。いくら大和が超人的な体力の持ち主でも、江口先生を背負いながら弾幕を張り、しかも城金たちの追撃から逃れるほどの猛スピードで走る、というような離れわざをやってのけられるとは思えない。
 残念ながら、ぼくの決して良いとは言えない頭では、この状況を打開する策は思い浮かばなかった。
「……何か策はあるかな。青龍学院の《策士》さん」
「そうだな、瑠璃くん。君の戦術で我々を勝利に導いてくれたまえ」
 なかば悪ふざけの入った口調で大和がそう言ったので、ぼくの腹の底にある釜がまた突沸とっぷつしかけた。彼はどこかこの絶望的な状況をたのしんでいるように見えた。
 赤月は一瞬の沈黙の後、口を開いた。
「そうですね。まず円藤さんは会長に代わって、江口さんを運んでください。会長はハンドガンを使って、狙撃兵を牽制しつつ、円藤さんの援護をお願いします。私が突破口を開きます」
 いつの間に回収したのか、大和の左手には江口先生の自動拳銃シグ・ザウエルP220が握られていた。右手には先ほど赤月が敵から奪った日本刀。遠近両用、彼は八坂と同じような戦闘スタイルなのだろうか。
 大和が付け加えた。「あの金髪も私が引き受けよう。おそらくあの中では彼が一番強い。我々が交戦している間は、狙撃兵は撃ってはこないはずだ。瑠璃くんは他の連中を押さえて突破口を開いてくれ。倒せなくても、一瞬の隙さえ作ってくれればいい。円藤くんはただ、白衣の天使を連れて駐車場まで、全力で、我々を信じて一直線に走ってくれ。車を手に入れたら、すぐに我々も追いつこう。もし先に敵がやってくるようなら、そのまま彼女を連れて逃げるんだ」
「彼女ひとりで三人を止めるんですか」
 ぼくは当然の疑問を投げかけた。いくらあの《首刈り》でも、阿佐ヶ谷と三城と響ちゃんの三人を同時に相手するのは無理があるだろう。
「大丈夫です。何とかします。それよりも狙撃兵の方が厄介です」
 赤月はいつもの、淡々とした調子で言った。
「うむ。私も狙撃兵を無力化しつつ、なるべく早く金髪を片づけて加勢しよう」
 自信に満ちた表情で、大和は言った。
「ぼくが車を手に入れてそのまま逃げるとは、思わないんですか」
「そこは君を信頼しよう。短い間とはいえ、共に背中を預けて戦った仲じゃあないか。私には、君がそんな無粋な真似をする輩には到底見えないね。まあ、あとで白衣の天使様のおしおきがほしければ、好きにするがいい」
 確かに赤月は江口先生の患者だ。見捨てて逃げれば後で天使様の天の裁きオシオキが待っていることだろう。それにしてもこの男、この状況でまだこんな冗談が言えるなんて、さすがにあの悪名高い青龍学院の会長だっただけあって、肝が太い。
 作戦は決まった。城金を先頭に、《御庭番》の連中は、ぼくらから十メートル程度の距離まで近づいてはきたものの、そこから先へは踏みこもうとしてこなかった。後ろの阿佐ヶ谷がいかにも戦いたさそうにうずうずしていたものの、城金がそれを制止していた。
 響ちゃんは、完全に無表情だった。感情に流されては任務はこなせないとわかっているのだろう。その手には、何も握られていなかった。彼女は拳法の使い手で、あの《人割り》終零路すら追いつめるほどの達人だ。
 時間をかければ、それだけで不利。帝一派はこの学園だけでも百人程度はいると聞いている。帝がひとたび緊急招集をかければ、彼らはただちに飛び起きて学生寮からここまで増援にやってくることだろう。
「行きましょう」
 赤月が先陣を切り、大和がそれを援護するように、シグ・ザウエルの引き金を引いた。
 

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