極楽戦争 - End of End

著・富士見永人
第四章「捲土重来けんどちょうらい


10
 校舎の時計塔の短針がイタリック体の12を指そうとした瞬間、群青ぐんじょうの空に数発の銃声が響きわたった。
 それが合図だった。
「縁人先輩、ごめんなさい!」
 最初にこちらへ飛びこんできたのは、響ちゃんだった。
 大和の銃口の角度から弾道を瞬時に見切り、おおよそ麗那先輩にも劣らない人間離れした俊敏な動きで、彼女は大和の刀の間合いに入った。
「これは驚いた。正直、みくびっていた」
 そう言う大和には、まだどこか余裕があるように思えた。
「行かせるかよお!」
 ぼく(と江口先生)に迫ってきた阿佐ヶ谷を、瞬時に響ちゃんから間合いをとった大和が、銃で牽制した。
 しかしその隙を逃さず、城金霧也が大和の首を狙って、その手に持った装飾刀を一閃した。
 血飛沫ちしぶきが薄暗い闇の中で、月光を浴びて、赤く輝いた。
「さすがに、これはきついな」
 大和の右頬が、口裂け女ならぬ口裂け男よろしく横に大きく裂け、そこから鮮血が縦方向に赤いストライプを描いていた。
「あなたは私がお相手いたします」
 大和に追い打ちをかけようとした響ちゃんを、赤月が急襲した。さきほど敵から奪ったナイフ二本を逆手に握り、響ちゃんを《介錯》するべく、その首、あるいは胴体を狙って無数の、嵐のような斬撃を放つ。うねる水蛇のような、変幻自在の、そのトリッキーな軌道に翻弄され、さすがの響ちゃんでもなかなか攻めに転じることができないようだった。
 しかし、赤月の相手は響ちゃんだけではなかった。
 大和が射撃で援護していたとはいえ、阿佐ヶ谷が放つ三節棍の独自の軌道と、同じく二刀のナイフ使いである三城の目にも留まらぬ連撃に、次第に赤月は追い詰められ、防戦一方になっていく。鈴子に撃たれた傷口が開いたのか、人形のような彼女の無表情が、時おり苦悶くもんに歪む。
 ぼくは相変わらず校舎の壁の影に江口先生を連れて引きこもり中で、何度か駐車場の方まで走ろうとしたものの、そのたびに狙撃兵がこちらに向けて発砲してきたため、どうにもならなかった。大和は赤月を援護するので精一杯、狙撃兵を無力化する余裕はなさそうだった。今、彼らを信じてまっすぐ走ったら、その瞬間に江口先生ごと蜂の巣にされてしまうだろう。
 そして、こうしている間にも八坂や他の親衛隊の連中がここに集まってくるかもしれない。ぼくはもう気が気ではなかった。心臓が張り裂けてしまいそうだ。
 江口先生を背負いながら左手で制服の切れ端をあてて彼女の腹の傷を圧迫止血しているが、一向に出血が止まる気配がない。どくどくと、傷口から脈打つように、江口先生の鼓動が伝わってくる。生温かい。同じ江口先生の温もりでも、先日の、ぼくを心の底から癒やしてくれた天使の抱擁ほうようのそれとは異なり、彼女の死へのカウントダウンをお知らせする時計の秒読みのようで気味が悪かった。地面には次第に赤い柘榴ざくろの花が咲き誇り、それがまた、吐き気を催すほどに、ぼくの精神を揺さぶった。
 このままじゃ、江口先生が死んでしまう。
「……て……」
 絶望の淵にいるぼくの耳に、小さな、消え入りそうな、人の声が聴こえてきた。
 江口先生の声だった。
「わ、私はいい。お願い、ふ、ふたりを」
 苦しそうに、咳きこみながら、江口先生は、たしかにそう言った。
 ぼくの後頭部に温かい何かが吹きかけられ、眼の前を赤い霧が舞った。
「しゃべっちゃだめです。ぼ、ぼくが絶対先生を病院まで連れていきますから」
「ごめん、ね。ドジ、ふん、じゃった」
 静かにそう言い、彼女はぼくの肩を、その血にまみれた赤い手で、鷲掴わしづかみにした。がくがくと震えながらも、その手からは、どこか不気味な力強さが感じられた。
「せ、先生、何を」
「放して」
 江口先生は振り絞ったような小さい声で、そう言った。
 そしてあろうことか彼女は、まるで助けられることを拒むかのように、ぼくの背中を両手で押しだして、地面に転落した。
「な、な」
 ぼくは何が起きたのか理解できず、口を金魚のごとくパクパクさせていた。
「いいから」
 江口先生はまっ赤に染まったお腹を押さえながら、青ざめたその顔で、苦しそうにしながらも、はっきりと……
「いきなさい」
 と、そう言った。
 行きなさいなのか、生きなさいなのか、それはわからなかったが、とにかく、そう聴こえた。
 貴女を見捨てて逃げろ、と?
 あるいは、大和と赤月を救えということだろうか。
 そりゃ、ただ戦略と数字だけを考えれば、ここは江口先生を見捨てて逃げるべきだろう。ぼくが大和と赤月に加勢して戦えば、響ちゃんか阿佐ヶ谷か三城のひとりくらいなら、勝てずとも食い下がることくらいはできるかもしれない。その隙に大和か赤月が彼らを仕留めてくれれば、突破口は開ける。
 江口先生も軍隊経験のある人だから、そのくらいのことはわかっているのだろう。
 だから、ぼくたちだけでも助かるために、自分は犠牲になろうとしているのだ。
 あるいは親友だった酉野先生が守ろうとしたこの命を、自分のせいで失わせてしまっては死んでも死にきれないと考えているのかもしれない。
 江口先生のお腹を中心に、不気味な土留どどめ色のサークルがゆるゆると広がっていくのを見て、ぼくは戦慄した。
「だ……だめだ」
 ぼくは涙眼で、ただ、幼稚園児が駄々をこねるように、みっともなく、食い下がっていた。
「だめ、だめです。あ、あきらめちゃ。先生。一緒に……」
 本当にみっともない。麗那先輩がこの場にいたら、今度こそ本当に呆れられ、見放されるだろう。
「おい、伊賀野! よそ見なんかしてんな!」
 幼児退行したぼくを現実に引き戻したのは、阿佐ヶ谷の声だった。
 彼の視線の先には、脇腹から血を流して佇立ちょりつした響ちゃんの姿があった。
 接近戦において達人級の腕前を誇る響ちゃんが戦闘中によそ見をするなんて、普通は考えられない。江口先生に気を取られている隙に赤月にやられたのか。もしかしたら彼女は、任務に忠実な戦闘機械なんかにはなりきれていなかったのかもしれない。
「介錯します」
 赤月がいつもの死刑宣告とともに、響ちゃんに飛びかかる。
「く」
 響ちゃんは、ただ赤月から逃げるように距離をとるしかなかった。
 そして響ちゃんをかばうために、後ろから三城が近づいた。

 ぶすり。

 あれ?
 次の瞬間ぼくの眼に飛びこんできたのは、まったく予想だにしなかった光景だった。
 響ちゃんの背中に、ナイフの柄がくっついた。
 いやいや。黒ひげ危機一髪じゃあるまいし。
 ……彼女の味方であるはずの、三城美樹のナイフが、響ちゃんの背中に、根もとまで、突き刺さっていたのだ。
 
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