極楽戦争 - End of End 著・富士見永人

 第四章「捲土重来けんどちょうらい

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「江口先生……?」
 炎に包まれた谷垣ベンツの残骸を見て、ぼくは茫然ぼうぜんと、立ち尽くしていた。
 運転席と後部座席にサンドイッチされていた瀕死の江口先生が、あのわずかな時間で自力で脱出して生還できるはずもなかった。これはフィクションの世界ではない。まごうことなき現実なのだ。
 江口先生が殺されてしまった。聖母のような優しさと何者にも屈しない職業医師としての気高き魂を持った、ぼくの尊敬する江口先生が。戦で傷ついたぼくを優しく抱きしめてなぐさめてくれた。獄中で谷垣にしいたげられたぼくを優しく介抱してくれた。帝に大和と赤月の銃殺を命じられて道を外れるか死ぬかの究極の二択を迫られていたぼくを、命がけで助けにきてくれた。誰よりも《命》に対して真摯しんしで、ぼくの知るどんな人より、優しかった。
 なぜ、そんな江口先生が、死ななければならない?
 なぜ、そんな彼女が、あの空中でばたばたとゴキブリのようにうるさく飛び回る、八坂の戦闘ヘリの機銃が放った、無慈悲で残酷な悪意の弾丸の嵐に、殺されなければならない?
 彼女の命を奪った、この理不尽な世界をまるごと、心の奥底から、ぼくは呪った。
 殺す。たとえ刺しちがえてでも、あのクソ野郎の細胞のひと欠片すら、この世に存在することを許さない。
 眼からあふれてくる涙を拭い、ぼくはそう固く心に誓った。
「走れ。森の中に逃げこむんだ。あの戦闘ヘリから逃れるにはそれしかない」
 落ちつきはらった声で大和がそう言ったが、ぼくの耳には届いてなかった。
「いつまでほうけてるつもりだ」
 しびれをきらしたのか、やや怒気のこもった声で大和がそう言うと、また万力のような力でぼくの腕を掴み、ラグビーとかアメフトのランナーのように豪快に、ぼくをひきずりながら走りだした。
 ばたばたばたと、八坂の戦闘ヘリの音が次第にこちらに接近してきた。
 そしてがさがさがさと、弾丸が樹々の葉を穿うがつ音が無数に響きわたり、ぼくらの数メートル横の土が、弾けとんだ。
「さすがに森の中を逃げ回れば、追ってはこれまい」
 大和の言うとおり、いくら戦闘ヘリといえど、森の中に潜んだ敵を仕留めるのは至難の業であろう。
 しばらく逃げまわっていると、八坂の戦闘ヘリはあきらめたのか、あさっての方角に飛んでいった。
 すぐに代わりの、おそらくは軍用車のものと思われる野太いエンジン音のハーモニーが聴こえていた。
「くそ。連中、森の中まで追ってくるつもりだぞ」
 大和が低い声でそうつぶやくと、ぼくの頭はふたたび恐怖で満たされ、引きずられていた足が反射的に回りだした。
「ちくしょう」
 頭と脇腹の激痛に耐えながら、ぼくは生き残るために必死で走った。
「無事ですか」
 空から女の子が、否、赤月が降ってきた。どうやら先に逃げて木の上に身を潜めていたらしい。
「何とかな。しかし残念ながら、彼女までは助けられなかった」大和が苦い顔をして言った。
「残念です。彼女に命を救われた恩を返したかったのに」
 赤月の言葉そのものか、それともいつもの人形のような飄々ひょうひょうとした態度でそう言ったからなのか、とにかく彼女の何かが、ぼくの腹部に内蔵された釜を突沸とっぷつさせた。
「何だと」
 ぼくは赤月の胸ぐらを掴んで叫んだ。
「どの口がほざきやがる、この人殺しが。そんなに恩返しがしたかったんなら、も、森の中に逃げこむ余裕があったなら、何で残って、先生を助けなかったんだよ。何で」
 赤月は何も言わずに、ぼくから顔を背けていた。こころなしか、彼女の肩が震えていたように見えた。
「やめたまえ」
 大和がものすごい力でぼくの手首を掴みあげると、ぼくはたちまち赤月を放した。ゴリラか何かに掴まれたような、すさまじい握力だった。
「ごめんなさい」
 消え入りそうな声で、赤月がそうささやいた。ような気がした。
「今は仲間割れをしているときじゃない。やつらに見つかる前に森を抜けて、町まで行こう。そこでしばらく身を潜めるんだ」
 追手の軍用車の音が近くまで来て止まり、ぼくはようやく正気を取り戻した。寿や酉野先生を殺し、鈴子の腕を切り落とし、江口先生を見殺しにした《首刈り》は今すぐにでも殺してやりたかったが、連中に見つかったら当然ぼくも殺される。
「三城は、どうしたんです」
「三城……? ああ」
 大和は三城の名前を耳にして、一瞬回答に詰まった。そして思いだしたように、続けた。
「彼女には一足先に行ってもらったよ。町に着いたら応援を呼んでもらうように言ってある。それでも帝の兵力に対抗できるかどうかは難しいが、とにかくそれまでにここを出るか、最悪でも連中に見つからずにやりすごす」
 三城が響ちゃんを刺した時点で予想はしていたが、今の大和の反応を見て、ぼくは確信した。彼女はおそらく反乱軍のスパイで、三城美樹というのは白虎学園での仮の名前だったのだろう。少なくとも彼女はぼくが二年生になったときから鈴子と親しかったのだが、そのときからすでに反乱軍と通じていたのだろうか。下北沢以外にこんなに身近に内通者がいたとは。もし彼女が夢葉救出作戦時に反乱軍側に寝返っていたら、ぼくたちは全滅していたかもしれない。そう考えたら背筋が寒くなった。彼女が町まで呼びに行った応援というのは、反乱軍の《継戦派》のことだろうか?
「ヴォウヴォウ」
 耳をつんざくような犬の吠え声に、ぼくの体は心臓とともに跳ねあがった。振り向くと、筋骨たくましいシェパード犬を連れた、おそらくは帝一派の生徒と思われる名も知らぬ白虎学園の男子生徒が、そこにはいた。
「見つけたぞ! こっち」
 最後まで言い切る間も与えられず、白虎学園男子生徒Aの頭の右半分が銃声とともにふっとんだ。そしてすかさず軍用犬の眉間に、今度はナイフが一本突き刺さった。
「まったく、何でも持ってるな。帝の坊やは」
 硝煙しょうえんの上がったマカロフ拳銃(さっき三城が持っていたものだ)を懐にしまい、大和が苦々しい顔をして言った。
 赤月は地に伏してびくびく痙攣けいれんしていた犬の顔面をぐちゃっと思い切り踏みつけてとどめを刺した後、乱暴にナイフを引き抜こうとしたが、予想以上に深く刺さりすぎてしまったのか両手で力いっぱい引っぱっても抜けず、ぐちゃぐちゃと犬の脳髄をひっかき回しながら、乱暴に引き抜いた。赤黒いドロドロとした脳漿のうしょうがこびりついたナイフを赤月は無表情のまま一瞥いちべつすると、近くの草で拭った。
 がさがさ、と、複数の人間の足音が、迫ってくる。あんなに大声で叫ばれた上に発砲までしたんだから見つからないほうがおかしい。
「走るぞ!」
 大和が叫ぶ前に、赤月はすでに走りだしていた。大和も満身創痍まんしんそういのぼくに構わず、どんどん先へ先へ走り去っていく。このメンバー三人で百メートル走をやったら、ぼくはまちがいなくぶっちぎりの最下位だろう。たとえ万全の状態でも。
「縁人くん! 伏せろ!」
 大和のその声がなければ、おそらくぼくはそのまま心臓をひと突きにされて、小説・極楽戦争は突然の打切となっていただろう。
 しかし滑りこみセーフ。ぼくはそのままヘッドスライディングする形で草むらのなかに倒れこみ、難を逃れた。
「ち。まーったく、悪運の強いやつめ」
 今、おそらくこの地球上にいるすべての人間の中で、最もぼくの神経を逆なですると思われる男の声が聴こえた。
 直後、ぱん、ぱん、と、複数の乾いた破裂音が響くと同時に、ぼくの左脚に焼けるような激痛が走った。
「おおっと、危ない危ない」
 その声の主にして、先ほど白衣の天使を葬り去った死神、白虎学園帝派の重鎮・八坂金一は、余裕の笑みを保ちつつ、木の陰に身を潜めた。大和が振り向きざまに八坂に発砲していなければ、今度こそ八坂の凶弾がぼくの心臓を貫いていた。
 まったく、ぼくは何度死にかけたら気が済むのだろう。このセリフも、いったい何度めになるんだろう。
 全身の力を総動員して、何とか立ちあがる。
 しかし撃たれた左脚には思うように力が入らず、走れたとしても百メートル走全学年最下位の亀のごとき走り程度が関の山だろう。
 徐々に近づいてくる、追手の足音の数々。
「追いつかれるぞ、円藤くん! そのくらいの傷、気合で何とかしたまえ!」
 まったく、無茶を言う。
 だから、左脚が思うように動かないんだってば。
「ち」
 しびれを切らした大和がぼくを助けるためか反転し、近くにあった木を遮蔽物にして、八坂に向けてふたたび手持ちのマカロフ拳銃を発砲した。
 八坂も木の後ろに隠れつつ、発砲する。ふたりでしばらく撃ちあって、双方無傷のまま全弾撃ち尽くした。
 しかしそうこうしている間に、あらたに十人近い追手がここまでやってきて、ぼくと大和はたちまち囲まれてしまった。
 赤月の姿が見えない。おそらくぼくらを置いて、さっさと森を抜けて逃げていったにちがいない。江口先生を見捨てたように。麗那先輩から逃れるために夢葉を盾にしたように。
「さあ、勝負あったなあ」
 八坂の言葉とともに、背後の白虎学園生徒たちが銃を構え、刀を抜く。
 いくら大和が強くても、銃と刀だけであの人数、あの銃口と刃物の数を相手にするのは無理だろう。ぼくはさっきの事故で負った全身打撲に骨折、八坂に左脚を撃たれたこともあって八坂ひとりと刺しちがえられれば御の字どころか大金星というありさまだった。
「お前らの首を会長のもとまで持ち帰せてもらうぞお。そうすれば会長は、私に会長補佐の地位を約束してくださった。大金星である」
 こんな男のつまらない出世欲のために江口先生は殺されたというのか。そう考えていたら無性にやるせない気持ちになってきた。
 十対三の戦い。しかし、時間をかければかけるほど敵の数は増える。
 ぼくたちが生き残るためには、眼の前のこいつらを瞬殺するしかない。
 いいだろう。殺してやる。
 江口先生は復讐なんて望まないだろうが、どのみちこいつを殺さなければ地の果てまでもぼくたちを追いかけてくる。この戦乱の世ではらなければ殺られるのだ。
 江口先生のとむらい合戦といこうじゃないか。
 たとえ死んでも、こいつだけは絶対にぼくの手で、ぶち殺してやる!

 ……と、まあ、意気ごんでみたはいいものの、現実はそんなに甘いものではなく、万全の状態ですら勝てるか怪しい八坂を相手に、気持ちだけで善戦できるはずもなかった。フィクションのように都合よく主人公補正なんてかかるわけがない。
 まず、ぼくが牽制に出した八坂への目突きを完全に読まれ、次に八坂のボディを狙って突きだした必殺の肘を、これまた読まれ、かわされる。
 満身創痍でむりやりり出した渾身こんしんの一撃を難なく避けられ、途方に暮れているところに、ぼくは右腕にするどい痛みを感じた。
「ああああ」
 ぼくの右腕の手首が、ぶらんぶらん。
 目突きのフェイントにくりだした無防備な右腕を、八坂がナイフで一閃。刃渡りが短かったせいか切断とまではいかなかったものの、半分以上骨ごと切り裂かれ、ぶらんぶらん。
 動脈まで切られてしまったおかげで、子供の頃よく遊んだ手持ち花火のようにすごい勢いで血が噴きだしていた。
 ぼくはほとんど反射的に半ぎになった右腕を押さえつけ、圧迫止血(セルフサービス)を試みるが、傷口からじわじわと血がにじみ出てきて止まりそうもない。
 くらくら、と、目眩めまいに襲われる。今の一瞬で多くの血を失って、いや、車での事故や左脚の銃創ですでにけっこうな量の血液を失っていたので、今のでとうとう限界がきたのかもしれない。
「円藤くん!」
 大和が叫んだが、彼は八坂以外の追手九人に対して防戦、というよりは、ほとんど逃げの一手だった。
 当然、ぼくを助ける余裕なんて、あるはずもなかった。

「じゃあなあ、円藤縁人おー」

 それが、八坂がぼくに放った、最後の言葉だった。
 直後ぼくは、腹に、するどい痛みを感じた。
 ああ。これはまずい。
 今まで死にかけたことは何度もあったけど、今回のこれは、本当に致命的な……
 

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