極楽戦争 - End of End

著・富士見永人
第五章「赤」


 その後、ぼくと夢葉は元反乱軍軍医にして現赤鳳隊軍医の黒川先生のもとで治療を受けていた。反乱軍側の名医と評判だった黒川先生は壮年の男性かと思いきや、意外と若くてハンサムなイケメンで、歳は酉野先生(推定二十代後半)と同じか、少し上くらいに見えた。女好きな性格なのか、江口先生の死を知ってからしばらく意気消沈しており、完全にやる気の抜けおちた顔で、生きた屍のように、しかし傷口の処置や骨折部位の矯正などといった医療行為に関しては精密機械のように、迅速かつ的確にこなしていた。
 ぼくが八坂から受けたダメージは以下のとおりである。肋骨開放骨折(要するに肋骨が皮膚を突き破って外部に露出した状態)、被弾による左足の銃創および粉砕骨折、ナイフによる右手首の(ほぼ)切断、同じくナイフによる腹部の裂傷および臓器の損傷。ほとんど致命的な傷を負った夢葉を奇跡的に死の淵から救い出した名医・黒川先生のもとに運ばれなければ、ぼくは今ごろ墓の下で、極楽戦争の語り部は大和だか赤月といった新鋭に受け継がれていたにちがいない。
 ぼくの傷がベッドから這い出られる程度に回復するまでには、実に一ヶ月を要した。その頃には夢葉はすでにベッドを降りて、徐々に失われた運動機能を取りもどすためのリハビリに精を出していた。ぼくは彼女より二週間程度遅くリハビリをはじめたが、何せ彼女と違って脚を壊しているので回復が遅く、下肢の筋力トレーニングと伝い歩きがメインのリハビリではなく、左脚に負荷をかけずに歩く松葉杖歩行の訓練から始めなければならなかった。黒川先生の説明によると、骨折してから一ヶ月くらいでようやく薄くのりづけした程度に骨がくっついて、それから徐々に体重をかけてリハビリができるようになる、とのこと。骨の回復速度は年齢にも骨折部位にも関係なく一定のようで、ずっと病床で寝転がっていたせいか鍛えあげてきた筋力は大きく衰え、しばらくは松葉杖を用いても満足に日常生活も送れない日々が続いた。八坂によってほぼ切断されてしまった右腕も、何とか神経をつなぎとめることには成功したものの、軽い麻痺が残って思うように動かせなかった。元通り動くようになるかどうかはぼく次第だという。
 当然そんな状態で赤鳳隊のみんなと共に戦えるはずはなく、ぼくは毎日無力感を感じ続けていた。ぼくはいったい、何のために赤鳳隊に入隊したのだろうか?
「私でもできたんですから、縁人さんなら絶対また復帰できるようになりますよ。私が保証します。元気を出してください」
 ぼくがリハビリを始めて一ヶ月が過ぎようとしている頃には、夢葉はすでに杖や手すりなしで日常生活を送れる程度にまで回復しており、ぼくを介助しながらしばしばこのように励ましてくれた。しかしぼくのようなネガティブ人間が、一ヶ月頑張ってもまだ松葉杖で任務復帰どころか日常生活ですら介助が必要なゴミクズのような現状で元気を出せという方が無理な話だった。このままもう一ヶ月、二ヶ月、あるいは半年、一年、リハビリを続けたとして、前みたいに接近戦のエキスパート(と呼べるほどの実力があったかは疑問だが)として、銃弾をかわす程度の機敏な動きで戦場を駆けまわるということが、果たしてできるのだろうか? 足手まといになるか、あっさり討ち死にするのがオチなのではないか。
 任務に参加できずに、ただベッドの上と食堂とトレーニングルームを往復するだけの日々が続いた。この赤鳳隊の秘密基地は、何十年か前に祖母江町に住んでいた金持ちの軍部の官僚かなんかが大量破壊兵器から逃れるために作ったシェルターだったようで、ひと通り生活できるだけの設備が備えられていた。しかしかなり古いものばかりで水道やガスまでは使えなかった。
 夢葉と交替でぼくを介抱していた赤月が、ときどきどんな任務をこなしてきたのか報告するようになったおかげで、いま外の世界でどんなことが起きているのかを知ることは、何とかできた。白虎学園が青龍学院に対して全面戦争をしかけたとは言え、いきなり白黒つける総力戦になったというわけでもなく、ところどころで小・中規模の戦闘が行われている程度らしい。将をんと欲すればまず馬からという段階だろうが、ぼくのような《下層》の生徒たちは使い捨ての懐炉かいろのようにばんばん死んでいるであろうことを考えると何だかやりきれなくなってくる。赤月の話によれば、今は各地で起きている戦闘を妨害したりしながら、白虎と青龍の双方から情報を集めているとのこと。臭いものは根から絶たねば当然だめで、この戦争の元締めと思われる白虎学園司令部、ことに帝陽輝に停戦交渉を持ちこむための材料を揃えるには、まだ圧倒的に情報が足りない。
「ところで君は、なぜ毎日ぼくを介抱してくれるんだ?」
 ぼくの体中に巻かれた包帯をいつものように交換して体を拭き、自分のこなしてきた任務の内容や、乾さんたちとの作戦会議の内容を説明していた赤月に、ぼくはそんなことを訊いた。今は味方になったとは言え、もともと敵で互いに殺しあっていたぼくに対してなぜこんなに献身的なのか、正直わけがわからなかった。
「え」
 こんな質問をされることなど想定していなかったのか、赤月は無表情のまま、しかしどこか茫然ぼうぜんとした様子で、静止していた。
「乾さんに言われたのかい?」
 皮肉でも何でもなく、ただ想定をそのまま述べてみるぼく。
 しばらくして赤月は一時停止の解けたビデオのように、そのままの顔で淡々と作業を再開した。
「そうではありません」とだけ、赤月は答えた。が、それ以上は何も言わなかったので、ぼくは続けて疑問をぶつけた。
「なら、……ぼくの友人や恩師を殺した、贖罪しょくざいのつもりなのかな。もしかして」
 もしそうだとしても、そしていくら戦場で敵を殺すことが当たり前でも、ぼくは彼女を許す気にはなれない。これはもう理屈ではなくてぼくの感情の問題で、いくら理不尽で不合理でも、そうそう割り切れるものではなかった。
「そういう考えがないと言えば、嘘になるでしょう」と、赤月は言った。
「だったら……」
 そんなことは無駄だからやめるべきだよ。
 そうぼくが赤月を諭そうとしたところで、彼女は続けて言った。
「敵であり、お友達の仇でもある私を、あなたは助けてくれましたから」
「へ?」
 身に憶えのないことを言われて、ぼくは頓狂とんきょうな声をあげた。一体いつ、ぼくが赤月に対してそんなことをしたというのか。それを訊く前に、彼女はそのまま続けた。
「あの狂った女が夢葉さんごと私を斬ろうとしたとき、あなたは止めようとしてくれました。あなたのお友達が私を撃ったとき、あなたはそれを止めようとしてくれました。私が白虎学園の保健室で療養していたとき、私を拷問しようとする者たちに、あなたは立ち向かってくれました。そして」
 今度はぼくの方が、ぽかんと間の抜けたような顔で、茫然としてしまった。よくそこまで憶えているな、と。狂った女というのは麗那先輩のことだろう。麗那先輩が夢葉と赤月を斬り殺そうとしたとき、たしかにぼくは麗那先輩を止めようとしたが、まったく歯が立たずに結局夢葉に瀕死の重傷を負わせてしまった。友達というのは鈴子のことで、以前鈴子と独房の赤月をからかいに行って、暴走した鈴子が赤月を撃とうとしたとき、ぼくはどちらかと言えば鈴子のために、それを止めた。敵とはいえ重要な情報源である赤月を殺せば鈴子が何らかの罪に問われるだろうと思ったのだ(そう言えば鈴子は今ごろどうしているのだろう。あのクソな独房からは出られたのだろうか)。そして保健室で療養しているときというのは、八坂が江口先生に赤月の引き渡しを要求したときのことを言っているのだろう。江口先生は医師としての職業精神から患者である赤月を守るために八坂に立ち向かい、ぼくは江口先生を助けるために彼女の側に立ったにすぎない。
「そして何より、あなたは自分の大切な人々のために戦える、勇敢な人です」
 迷ったように一拍置いてから、赤月はそう言った。
「それに私は結局、江口さんに命を救われた恩を返せませんでした。だからせめて彼女の大切な教え子たちだけでも守りたい。それが彼女に対する私の、せめてもの恩返しです」
 てっきり彼女は自分の保身のことしか考えてない身勝手な娘だと思っていたので、ぼくは呆気あっけにとられていた。例えるなら、どうしようもないワルと評判のチンピラが捨て猫に餌をやっているところを偶然目撃したような、そんなかんじ。
「でも、ぼくは君を殺そうともしたよ」
「戦場で敵同士なら当たり前でしょう。それとも、帝陽輝があなたに私と会長を殺すよう命じたときのことを言っているのですか」
「そうだね」
「でもあなたは最後まで自分の良心と戦って、帝に抵抗していました。私なら自分の保身のために迷わず引き金を引いていたでしょう」
 だろうね。君は人を人とも思わない人でなしだから。
 つい数分前までの自分なら、きっとこう言ったことだろう。しかし今のぼくにはどういうわけか、彼女が嘘を言っているようには見えなかった。
 振り返ってみればぼくは赤月に何度も危ないところを助けられているし、麗那先輩に斬られて死にかけていた夢葉をどうにかして救いたいと思っていたあのときも、赤月が降伏を提案しなければ、ぼくも夢葉もその場で殺されていただろう。いや、赤月はそもそも最初から夢葉を救いたい一心で増援部隊に連絡を取りに戻ったのかもしれない。夢葉はあのとき麗那先輩に追い詰められた赤月をかばっていたように見えた。あのときから彼女たちの間にはすでに友情が芽生えていたのかもしれない。
 赤月は無表情のまま眼を背け、しかしどこか照れたように癖のある白い髪を、人差し指でくるくるといじり回しながら言った。
「だからその、夢葉さんのためにあの場に残ったときから、この人は信頼できる人だと、思っていました」
 いつものように抑揚こそなかったものの、新入社員が始めて上役の前で行うプレゼンのようにところどころつっかえながら、赤月は言った。不覚にも可愛らしいと思ってしまった。敵同士でさえなかったら、彼女が寿や酉野先生を殺した仇敵でさえなければ、いい友達になれたかもしれない。そう思った。
 彼女の言うように戦場で敵を殺すのは当然で、味方同士になった今でも友人や恩師を殺したことを憎み続けている自分に対して、一抹いちまつの疑念のようなものが、湧いた。
 間違っているのは、ぼくの方なのか?
 ぼくは、彼女を許すべきなのか?
 赤月がそれから無言のまま手早く包帯の交換を終えてそそくさと出て行ってからも、ぼくはしばらくベッドの上でそんなことを考えていた。夢葉は赤月がぼくの友人である寿を殺してしまったところを目撃しているはずだけど、そのことについてはどう考えているのだろう。戦場で敵同士だったのだから仕方がない、と、夢葉もまた割りきっているのだろうか。彼女たちの方が大人で、ぼくの方がいつまでも感情に訴えているだけの子供なのだろうか。ぼくにはよくわからない。教えてください。酉野先生、江口先生。
  
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