極楽戦争 - End of End 著・富士見永人

 第五章「赤」

   13

「ああああああ」
 鈴子が咆哮ほうこうした。
 そしてまるでトラックか何かにねとばされたように、母の体がものすごい勢いで宙を舞い、そのまま壁ぎわにあった黒川先生のスチールデスクに、背中から突っこんだ。
「あっ。母さん」
 背骨や肋骨が粉々になってしまったのか、もはや母の体は、人としての原型をとどめていなかった。
 どろり。
 母の口からあふれだした赤黒い液体が、デスク一面を染めあげていく。
 あまりに唐突に現れたその凄惨せいさんな光景に、ぼくの頭は現状を認識できず、混乱を極めた。
 何だ。これは。
 ぼくは悪い夢でも見ているのか?
「やりやがったな。クソババア」
 鈴子はぼくを放り投げると、古びたパソコンのブラウン管モニターを片手で軽々と持ちあげ、そのままデスクにもたれていた母に向けて一撃。
 ぐしゃ。ばきばき。
 モニターは衝撃に耐えきれず、砕け散った。
 母の頭とともに。
「母さ……」
 がくがくと痙攣けいれんし、やがて動きを止める、母の、首から下。
 もう、誰がどう見ても、死んでいた。
 頭を失った人間が、どうして生きていられる?
「ぐぷ」
 今度は鈴子の口端からこぼれた血液が、彼女のあごに赤い筋を何本か描いた。
「ち。自業自得だぜ」
 弁明するように鈴子が言った。
 たしかにそのとおりだろう。鈴子は好んで母のような非戦闘員を殺傷するようなやつではないし、母には申しわけないが、背後からナイフを突きたてて返り討ちにされた母の自業自得だろう。薬物を使用していなければ、今ごろ鈴子は戦闘不可能なほどの重傷を負っている。刃物を手にした時点で、母は非戦闘員ではない。
 でも、今のぼくにとってそんな理屈はどうでもよかった。
 母さんが、死んだ。
 父さんの遺産も自分の生活も、すべてを投げ出して、ぼくを白虎学園に入れてくれた。
 お金こそなかったけど、いつもぼくの身を案じて、気にかけてくれていた。
 その母さんを殺した。あんなにむごたらしく。
 あの! くそ女が! 母さんを!
 腹の奥底から噴きだす憎しみの炎が、ぼくの全身を焼きつくしていく。
「殺してやる!」
 もはやぼくは、完全に我を忘れていた。
「死ねよくそ女!」
 怒りに身を任せ、腹に受けた傷の痛みすら忘れ、ぼくは己の身もかえりみず乱暴に間合いをつめ、ただ彼女を殺すためだけに、鈴子の首を執拗に狙って、力任せに遮二無二しゃにむにに斬りつける。
「てめえ」
 ぼくのむき出しの殺意とそれにともなう攻撃を受け、鈴子の顔がみるみる険しくなった。
「いいぜ。そんなに死にたきゃ、今すぐ母ちゃんと同じとこへ送ってやんよ」
 その一言が、ぼくの中の何かを弾けさせた。
 今のぼくは、おそらく従来の爽やか少年のイメージなど微塵も感じさせぬ、阿修羅あしゅらのような表情をしているだろう。憤怒と憎悪に呑みこまれ、もはや鈴子が友人であったということも忘れ、彼女を抹殺するためだけに、ひたすら生ける殺戮機械キリングマシンと化していた。
「雑すぎんだよオ!」
 攻撃ばかりに気を取られて隙だらけになったぼくの右腕を、鈴子のナイフが切り裂いた。
 怒りは力を与えてくれるが、冷静な判断力を鈍らせる。
「いぎい」
 激痛にぼくは思わずうめいた。
 かつて八坂に半ぎにされた右手首の傷に交差するように真紅のラインが引かれ、そこからケチャップのようなぼくの《中身》がどろりとこぼれおち、ぼくの足元を染めあげた。
 右手の感覚が失われ、思わずぼくは小太刀を床に落としてしまった。
「勝負あったな。てめーの負けだよ、縁人」
 鈴子が低い声で言った。
「あ」
 絶望。
 ぼくの頭を、絶望の二文字が塗りつぶした。
 冷たくぼくを見おろす鈴子のその瞳には、もはや慈悲というものは感じられなかった。
 どうして、こうなった。
 ぼくたちは一体、何を間違えてしまったんだろう?
「じゃあな。また昔みてーに、三人で遊びたかった」
 最後の最後で、鈴子は悲しそうな顔を浮かべ、ナイフを振りあげた。
「あああああ」
 もはや無我夢中で獣のようにえ、ぼくは鈴子にしがみついた。

 その手に触れたものは、さきほど母が鈴子の背中に突きたてたナイフ。

 鈴子の顔が瞬時に青ざめた。
「あ。や、やめ」
 ぼくの頭に、背中に、生温かいというよりは熱い、おそらくは彼女の血液と思われる液体が、大量に降りかかった。
「い、痛い、痛い、やめろ、やめて、え、縁人」
 鈴子が悲痛な声をあげたが、ぼくは彼女の《解体》をやめることはなかった。かつての友人の身を案じるよりも、母を殺された憎しみと、自身が殺されることへの恐怖心が、ぼくを駆り立てていた。
 いつかあの《人割り》が、悪魔のように笑いながら、月野を生きたまま切り裂いた光景がぼくの脳裏に蘇った。今の体勢からは見えないが、鈴子もたぶんあのときの月野と同じように苦痛に満ちた顔をしているにちがいない。薬物で麻痺した痛覚も、致命的な傷を前にしては意味をなさなかったのか、あるいは薬の効きが薄れてきたのか。それはわからない。
 ぶつん、と、ぼくの握りしめた母のナイフが、鈴子の中の何かを切り裂くと、彼女の熱い血液が噴きだし、ぼくの手にふりかかった。
 人間の血液ってこんなに熱かったんだな。
 幾度となく戦場を経験してきたけど、こんな接近して人を解体したことなんてなかったから。
 当たり前か。あの《人割り》じゃあるまいし。
 ぼくを押さえつける鈴子の力が、急にふっと抜けた。
 彼女の心臓の鼓動が、止まったのだ。
 

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