極楽戦争 - End of End 著・富士見永人

 第五章「赤」

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 息が苦しい。
 過度の緊張で心臓が今までに経験したこともないくらい、ぼくの胸の内で、激しく暴れ回っていた。
 かつての友をこの手で、生きたまま、切り裂いて、殺した。
「うっげ」
 唐突に激しい嘔気おうけがこみあげ、ぼくは鍛錬の合間に食べたおにぎりの残骸と思われるものを、床にすべてぶちまけた。胃液のつんとした刺激臭が鼻をついた。医務室一面に広がった鈴子と母の、せかえるような血の臭いと相まって、何とも言いがたい悪臭の不協和音を奏でていた。
 ぼくは思わず赤褐色せっかっしょく血海けっかいに沈んだ鈴子の死体を、見てしまった。
 彼女の顔は、あのとき《人割り》に無惨に殺された月野のように苦悶くもん悲痛ひつうに満ちていて、その眼尻からは涙がこぼれていた。あまりの激痛のせいか、それともかつての友にひどい殺され方をしたせいか。それはわからない。
「おい」
 ふいに肩を引っ張られ、ぼくは反射的に手に持っていた血染めのナイフを、振りまわした。
「やめろばか。俺だ、俺」
 乾さんだった。
「ぼさっとしてんな。まだ終わりじゃねえぞ。爆弾のセットは完了した。みんなを連れてさっさと脱出するぞ」
 その一言で、憎悪と悲哀と混乱の渦中かちゅうにあったぼくの頭は、いささか冷静さを取り戻した。
 乾さんはスチールデスクの上で無惨につぶれた母をちらと見て、ぎりりと歯噛みした。
「そうか。舞さんが……霧崎のやつ」
「ひぐ」
 乾さんにそう言われて初めて母の死を認識したのか、ぼくの眼から涙があふれだす。
 ぼくはひどく後悔した。なぜぼくが直接、母を守らなかったのか。なぜ乾さんが霧崎に母たちの誘導を任せたときに、無理を言ってでも交代させなかったのか。元はと言えば、母を守るのはぼくの務めだったはずなのに!
 だが、母の助けがなかったら、今ごろ血の海に沈んでいたのは鈴子じゃなくてぼくの方だった。まちがいなく。
「泣いてる暇なんかねえぞ」
 乾さんの静かな、しかし力強いその一言が、ぼくの思考をふたたび現実へと引き戻した。
「大和たちは俺が何とかして連れだす。一時間後に地下水路のポイントCで合流しよう。霧崎に夢葉嬢たちをそこへ誘導するように伝えてある。お前は霧崎に加勢して夢葉嬢たちを守れ。もし敵に遭遇した場合、あいつひとりで全員を守って戦うのは荷が重い。こいつを持って早く行ってやれ」
 乾さんは武器庫から調達してきたウージー・サブマシンガンをぼくに手渡すと、自身は一メートル以上もあるPKM機関銃を担いだ。
「わかりました。どうかご無事で」
「おめーもな。夢葉嬢たちを頼んだぜ」
 ぼくと乾さんは拳を突きあわせると、それぞれ逆の方角へ向かって走りだした。

 人ひとりがやっと通れるような細い通路を駈けぬけ、ぼくはようやく日出川ひづがわの地下水路にたどり着いた。
 通路の出口の周囲に敵兵がいないかどうかを確認し、一歩外に踏みだす。
「むぐ」
 突然上から降ってきた何者かに口を押さえられ、ぼくは通路の中に押し戻された。
「私よ。円藤」
 霧崎だった。
「何やってるんだ。こんなところで。夢葉たちは」
 ぼくがしゃべり出すと、霧崎はふたたびぼくの口を押さえつけた。
「ばか。声が大きい」
 声のかわりに首を縦に三度みたび振るぼく。それを見た霧崎は、ぼくの口に添えた手を、そっと離した。
「近くに敵の部隊がいる。あのお嬢様と闇医者は敵に捕まった。あんたの母親はどっかへ行った」
「何だと」
 あまりに無責任な物言いにぼくは激昂げっこうし、霧崎につかみかかろうとしたが、それよりも速く彼女がぼくの左手の小指をすばやくつかみ、ひねりあげた。
「いて。いててむぐ」
 ふたたびぼくの口に霧崎の手が添えられた。
「いいかげんにしないと喉笛を切り裂くよ」
 歴戦の殺し屋。数えきれないほどの人間を闇に葬ってきた者特有の、底冷えするような冷たい切れ長の眼。すべての光を呑みこむ闇色のその瞳に、ぼくは圧倒された。ぼくも戦場で何人も殺しているが、彼女はその道のプロだ。年季とくぐり抜けてきた修羅場の数がちがう。ぼくの喉のひとつやふたつ平気で切り裂き、声を奪うだろう。霧崎だけに。
「私のせいじゃない。あの馬鹿嬢が勝手にドジ踏んで自滅しただけよ」
 弁明するように、霧崎は言った。
「でも、まだチャンスはある。敵は私を探してこの辺をうろついてる。数は七。あんたのそのウージーがあれば充分れる」
 霧崎はぼくの肩にぶら下がったウージー・サブマシンガンを強引に奪いとった。
「円藤。あんたがおとりになりなさい。うまく敵の注意を引きつけて。隙を見て私が連中をまとめて蜂の巣にする」
「冗談じゃない。夢葉たちがつかまったのは君の責任だろ。君が囮をやれよ。隙を見てぼくがそのウージーで」
 ぼくが反論すると、霧崎は無言でぼくの負傷した右腕をつかみ、ぼくが痛みに悶絶もんぜつしているうちに脚を払いのけて地面に押し倒した。
「そんな腕で?」
 ぶざまに地べたで寝そべるぼくを見下し、霧崎は冷笑した。
 くそ。母さんと夢葉(とついでに黒川先生)を守れなかったくせにと言ってやりたかったが、こんなところで仲間割れをしてもしかたないので黙っておいた。
「あんたとは戦いの年季がちがうのよ、坊や。私がうまくやってあげるから、安心して囮してきなさい。いいから、さっさとやりなさい。ここで敵に殺されたように見せかけて、あんたを殺してもいいのよ」
 何てやつだ。くそ。
 ぼくはやむをえず囮役を引き受けるはめになった。
 出口から周囲を改めて覗くと、ちょうど白虎学園の生徒と思われる少年ふたりが、こちらに向かって歩いてくるのが見えた。知らない顔だ。ゴリラのようにいかつい顔をした大男と、丸い瓶底眼鏡をかけた小柄な猿顔の男のペアだった。ゴリラのほうはあの《人割り》のような大きな刀を背負っており、眼鏡猿のほうは小ぶりの自動拳銃(おそらくワルサーP38)を右手に握っていた。
「さっさといけ、愚図ぐず
 霧崎がぼくの尻を乱暴に蹴飛ばすと、ぼくはぶざまにおっとっとと片足で跳ね、地面に手を付く格好になった。
 眼鏡猿がぼくに銃を向けた。
「なんだお前。《赤》の仲間」
 たたた。
 霧崎のウージーの乾いた撃発音とともに、眼鏡猿の頭が《欠け》た。彼はそのまま力なく倒れ、つぶれたトマトのように脳漿のうしょうを地面に四散させた。
「眼鏡」ゴリラが叫んだ。
 たたたたたたた。
 ゴリラの体に瞬時に七つの穴が開いた。
「ひでぶ」
 眼と鼻から鮮血を噴きだしながら、ゴリラは眼鏡猿の上に覆いかぶさるように倒れ、絶命した。
 ぼくが眼鏡猿の死骸の右手に握られたワルサーP38を奪いとると、霧崎がゴリラたちのやってきた方角を指さし、「一気にいくよ」と言った。
 おそらくは地下水路の住人がカラースプレーで殴り書きした雑多な文字が彩る壁に挟まれた通路を、ぼくと霧崎はまっすぐ駆けぬけた。しばらく突き進むと、夢葉と黒川先生を連れた、白虎学園の生徒が五人ほど歩いているのが眼に入った。
 ぱあんぱんぱん。
 夢葉たちがいるにもかかわらず、ぼくはまっ先に連中の背後からワルサーの引き金を引いた。
 夢葉を盾にされる前に先手を打ったのである。
 ぼくの放った銃弾は、夢葉の後ろを歩いていた角刈りの男と黒髪ツインテールの女の頭や胴体をはつり、地下の住人たちの混沌とした落書きの上に赤茶けた放射状のアートを描いた。乾さんの地獄の特訓によって身につけた正確な射撃は、二十メートル以上離れた人体に確実に鉛弾をぶちこむことを可能とした。
 霧崎が無言でぼくに手で合図を送り、ぼくたちは水路を挟んで左右に別れ、突撃した。
 残った三人の敵のうちの二人は夢葉と黒川先生の背後から銃撃してきた。
 しかし思わず柱の後ろに逃げこんだぼくとはちがい、霧崎はこの地下の暗がりの中でも相手の目線と銃口の角度から弾道を見抜き、すさまじい反射速度と身のこなしで銃弾を回避、夢葉の背後に隠れて銃を構えていた団子っぱなの背の低い男子生徒の腕をナイフで切り落とした。
「おおう」
 団子っ鼻が疳高かんだかい声で呻いた次の瞬間、霧崎が彼の左眼にナイフを深々と突きたて、すばやく引き抜いた。眼窩がんかから直接脳を破壊された団子っ鼻は、そのまま夢葉の背後でくずおれた。
「夢葉、走れ」
「は、はい」
 ぼくが叫ぶと、夢葉は吃驚びっくりしてあわてて走りだした。
「あっ。待てこの」
 黒川先生を拘束していた大柄の、ワカメのように波打った黒い長髪が印象的な男が手を伸ばし、夢葉の長い髪を掴んだ。
「あっ。痛い痛い」夢葉が悲鳴をあげた。
 だが、そんな極楽戦争のヒロインに対する狼藉ろうぜきをいつまでも許すぼくではない。まっすぐに伸びたワカメの腕の肘に容赦なく正面から掌底しょうていをたたきこんだ。ワカメの腕はたちまちばきぼきとあらぬ方向へ折れ曲がり、その機能を終えた。
 残ったもうひとりの焼きそばのように茶色い髪をしたせこけた男が、すでに腰から下げた刀を抜いて構えていたが、ぼくがワカメの蟀谷こめかみにワルサーの銃口を突きつけると、降参したのか刀を水中に投げ捨てた。
 ざく。
 そんな無抵抗の焼きそばの喉元を、霧崎のナイフが容赦なく切り開いた。
「あっ。おまえ」
 ぼくが彼女を非難するより先に、今度はワカメ頭の後頭部に、霧崎のナイフが深々と突き刺さった。
「無抵抗に見えるからって油断しちゃダメよ、ぼく。他に武器を持ってないとも限らない。殺した方が確実だし、てっとり早いわ」
 まるで幼稚園児にでも話しかけるような猫なで声で、霧崎はぼくに言った。
 何てやつだ。
 いくら戦場とは言え、武器を捨てて投降した人間を……と思ったが、眼の前のこの女は兵士ではなかった。金のためなら何でもする殺し屋だ。そんな人間に倫理や矜持きょうじを期待する方がどうかしている。
 夢葉はなかば茫然ぼうぜんとした表情で、殺されたワカメと焼きそばの死体を見つめていた。
 そしてそんな夢葉の頬を、霧崎がばちんと張った。
「あんたのせいで私の報酬が天引きされるとこだった。次にあんなヘマをしたら殺すよ」
 蛇ににらまれた蛙のように霧崎に凄まれた夢葉は何も反論できず、ただ申しわけなさそうに目を背けた。夢葉の右膝を見るとり傷があって出血もしていた。敵に見つかって逃げている最中に転んだのかもしれない。
「さっさと合流地点まで行くよ。もたもたしてると敵の増援が来るかもしれない」
 そのまま夢葉の脚の怪我もおかまいなしに、霧崎は足早に歩いていく。
「おっかない女だな。顔がよくてもああいうのはだめだ、受けつけない」
 すっかり空気と化していた黒川先生が、ぼくの耳元でささやいた。いったい何の話をしているんだろう。
 

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