極楽戦争 - End of End

著・富士見永人
第六章「最終戦争」


   9

 間一髪だった。
 ぼくが機転をきかせるのがもう何ミリ秒か遅れていたら、赤月はまちがいなく串刺しにされ、その場で絶命していたことだろう。
 右頬に走る、鋭い痛み。
 上出来だ。
 相手が《彼女》であることを考えれば。
っ」
 麗那先輩の大薙刀の刃が、ぼくの顔を大きく切り裂いていた。
 頭一個分ずれていたら、ぼくの顔面はきっと麗那先輩の一撃でぐちゃぐちゃに崩壊していたことだろう。
「円藤さん、何」
 聡明な赤月は、すべてを言い終える前に状況を理解した。
「裏切ったんですか。紅さん」
 死に直面した恐怖感からか、出し抜かれた悔しさからか、赤月は珍しく表情を歪め、敵意むき出しの攻撃的な眼つきで、麗那先輩をにらみつけていた。
「ちぇっ。縁人くんの眼は、ごまかせなかったかあ」
 麗那先輩はねたように口をとがらせて言った。
 ぼくはがら空きになった麗那先輩の胴体めがけてナイフを突きだしたが、案の定彼女は超人的な反射神経でそれを見てからかわし、距離をとった。
「おかしいとは思ってたんですよね。あなたのような戦好きが、戦の終焉しゅうえんを望む赤鳳隊に入るなんて。あなたが自ら戦を終わらせるようなことをするわけがない。愉しむだけ愉しんだ挙句、いざとなれば裏切って作戦を破綻はたんさせるつもりだったんでしょう」
 いきなり突きつけられた全滅の危機に、ぼくはただ乾いた笑みを浮かべるのみだった。
 天使のように無邪気な笑顔で、平然と、麗那先輩はそう語った。
「そんなことないよ。最後まで君たちを裏切るべきかどうか、迷ってた。ここで戦を終わらせても他所にいけばいいだけだし。でもさ。このまま帝くんが降伏してジ・エンド、じゃ、さすがにちょっとつまらないかなって思ったんだ。どうせなら、『麗那先輩まさかの裏切り! ルリルリ死す! 残された縁人くんの運命や如何に!?』ってなった方が絶対に盛りあがるでしょ。でも、はじめから縁人くんまで殺すつもりはなかったよ。君は、こんなところで不意打ちなんかで殺すには惜しい子だから。その方が後で絶対に面白くなるもんね」
 本当にこの人は、どこまで自由なのだろう。
 うらやましいほどに、自分に正直だ。
「ふふふ」
 口元にうすら笑いを浮かべた帝が、麗那先輩に歩みよった。
「君が私のてのひらに収まる類の人間でないのは理解していたよ、紅さん。でもまさか、あえて君を放っておいたことがこんな形で役立つとはね。さすがの私も予想していなかった」と、帝が言った。
 そして彼は麗那先輩に、ふたたび手を差しだした。
 まずい。
 帝陽輝は権力者である以上に、人間観察と人心掌握に長けた策士なのだ。
「紅さん。取引だ。私を守ってほしい。何を隠そう、この私こそが白虎学園、そしてこの極楽市の真の支配者であり、この極楽戦争を取り仕切る元締もとじめだったのだ。知ってのとおり、私を生かすということは、この戦の継続を意味する。私は反乱軍を滅ぼすつもりはない。それは我々にとって不利益となるからだ。正直ね、私はずっと悔いていたのだよ。君を満足させられるような仕事を与えてやれなかったことを。だから君は更なる戦の刺激を求めて反乱軍へと移った。そうだろう? 君には二度と退屈な想いをさせたりはしない。刺激的な戦の日々を約束しよう。それは君にとって、他の何よりも魅力的な報酬のはずだ」
 本当にこの男は、麗那先輩の裏切りを、予想していなかったのだろうか?
 麗那先輩は天使のように無邪気な笑顔を浮かべたまま、即座に、帝の手を取った。
「いいよ。乗ってあげる。でも約束を破ったら今度こそ容赦しないから」
「わかっているよ。利害は一致している。戦の継続により、私は利益を。君は充実を」
 麗那先輩の裏切りを予想していながら、麗那先輩が班に加わることに反対すらしなかったぼくは、愚かであるとさえ思う。
 いや。心の奥底では予期していたにもかかわらず、麗那先輩が味方について戦ってくれる心強さ、安心を得たいというぼくの弱さが、その最悪の可能性に、蓋をしてしまったのかもしれない。事実、麗那先輩がいなければ、ぼくと赤月は城金たちによって殺されていたにちがいない。しかしその依存こそが、麗那先輩が敵に回るという、最大最悪の危機を招いてしまったことも、まぎれもない事実である。
 破裂しそうに暴れ狂う心臓の鼓動を必死におさえ、冷静であろうとする。
 冷やした頭で、戦況を分析する。
 帝陽輝の実力は未知数だが、以前に江口先生を素手で《外科手術》し、赤月の急襲からも逃れ、ぼくの渾身こんしんの一撃を受けても平然としていた男だ。弱いとは思えない。
 そして今のぼくじゃ、麗那先輩には逆立ちしても勝てやしないだろう。
 でも、《勝てないだけ》だ。
「赤月。ぼくが麗那先輩を引きつけるから、その間に帝を何とかしてくれるかい。たぶん、もって三分くらいだと思う」
 表情こそ動かなかったものの、彼女の体が一瞬硬直したのが、わかった。
 あの《殺し屋》蒼天音を麗那先輩が惨殺したとき、赤月は明らかに彼女の強さに怯えていた。そして今回の戦いでの麗那先輩の戦いぶりを見て、彼女に対する恐怖は一層増大しているはずだ。だから赤月よりも戦闘能力の劣るぼくが麗那先輩に勝てないのは百も承知だろう。
 だが、いくら赤月でもいよいよ人間を卒業しつつある麗那先輩相手に勝てるとは思えない。それなら、麗那先輩と何度か手合わせしたことのあるぼくが戦っても大して変わらない。そしてぼくが麗那先輩を引きつけているうちに赤月が帝を倒してさえくれれば、ぼくと赤月の二人がかりで麗那先輩に勝てるかもしれない。おそらくこれが一番可能性が高い。
「わかりました。どうかご無事で」
 赤月は覚悟を決めたようにうなずき、両切刀を構えた。どのみちぼくが麗那先輩に瞬殺されれば、赤月の死も確定するのだ。
「ふうん。縁人くんが私の相手をしてくれるの?」
 麗那先輩の例の攻撃的な笑みと焼けつくような殺気を向けられ、ぼくの全身に緊張が走った。
 これはいつものじゃれあいではない。雨あられのごとくもらっていた決定打を一度でももらえば、ぼくは即死する。赤月も死ぬ。そして終わりなき戦が、永遠に繰り返される。
 ぼくがだまって首を縦に振ると、麗那先輩は一瞬だけ帝に対して視線を送った。帝は「かまわないよ」とだけ言い、腰に下げた高価たかそうなサーベルを抜き、赤月に向けた。あの悪名高い《首刈り》の実力を彼が知らないとは思えないのだが、よほど剣の腕に自信があるのか。それとも何か秘策があるのか。
 ひと際大きい雷鳴がとどろき、それが合図となった。
 戦いの火蓋ひぶたを切ったのは、麗那先輩だった。彼女はぼくに向かってその長大な大薙刀を向け、まっすぐこちらに突っこんできた。
 身体能力も戦の経験値も、ぼくは麗那先輩には大きく劣る。しかしそれは先ほどの火馬戦でも同じだったし、ぼくは彼女の傍で何度も彼女の動きを見続けてきた。
 そう。ずっと、貴女のことを見てきたんですよ。麗那先輩。
 戦において相手の動きを予測する、いわゆる先読みの能力は重要だ。そして八木師匠のもとで延々と武術鍛錬を積み重ねてきたおかげか、ぼくは先読みには結構な自信があった。
 麗那先輩の動きは俊敏かつ、武術の定石に囚われない奇想天外そのものであったが、ぼくのこれまでの戦の経験の賜物か、それとも死を眼前にして人間が本来持っているという潜在能力が開放されている(以前車に撥ねられて生死の境をさまよった生徒がいたが、彼はぶつかる直前に世界がスロー再生しているようにゆっくり動いて見えたらしい)のか、今日のぼくには彼女の動きがいつもよりも緩慢に見えた。あの麗那先輩が、こういう状況でぼくに情けをかけるとは思えなかった。
 根津に撃たれた脇腹や雪野に撃たれた背中に先ほどまで走っていた激痛も、次第に和らいでいった。超人的な回復力で傷が塞がっていった……のではなく、脳内麻薬が分泌されて痛覚を遮断しつつあるのだろう。あとでツケがくること必至だが、この戦が終わるまで持ちこたえてくれればそれでいい。
 ここを切り抜けられなければ、どのみち死ぬのだから。
 しばらく続いた鍔迫つばぜり合いの後、ぼくは一瞬の隙を突いて麗那先輩の腹をナイフで切り裂こうといだが、彼女は超人的な反射神経でそれを見切り、大きく跳躍し、かわした。
 接近戦において身動きのとれない空中へ逃れるのは常人であれば悪手だが、裏を返せば相手の虚を突きやすいということでもある。そして麗那先輩の驚異的な身体能力は、ここからぼくが迎撃するより前に攻撃を繰りだすことすらも可能にしてしまう。
 生物としての基本的な身体の構造が、違いすぎる。
 麗那先輩の大薙刀の先端が、ぼくの頭に向かってものすごい勢いで、突き出された。
 彼女の全体重が乗ったそれは、容易にぼくの脳髄を貫き、体の奥深くにまで到達するだろう。
 ぼくを殺す気で放たれた、突きだ。
 しかし予め彼女の技の《起こり》を感知していたぼくは、ぎりぎりのところで半身になり、それを躱した。大薙刀の切っ先がぼくのブルゾンのすそだけを引き裂く。
 そしてがら空きになった彼女の腹部を狙って、ぼくは左の小太刀を突き出した。
 が、麗那先輩は直前で反応して体をひねり、それを避けた。そしてぼくの腹部に強烈な蹴りを食らわせ、その反動を利用し、後ろへと跳び、空中でくるりと華麗に一回転し、体操選手のように両手を広げて着地した。みごとな着地だった。
 顔をほころばせて、彼女は言った。
「いい。いいよ。すごく、いい」
 興奮を押さえられないのか、麗那先輩の、大薙刀を持つ手がぶるぶると震えだした。
「どれだけこの日を待っていたか……わかる? 縁人くうん。私、今、最高に興奮してるんだよ。私の知らないところで、こんなに大きくなって。嬉しい。大好き、縁人くん」
 大好き、だなどと呼ばれて一瞬どきりと心臓が跳躍したが、すぐにぼくはそれを必死に理性のたがで押さえつけた。彼女が敵でなければ、どんなにうれしかったことか。
「今の縁人くんなら、私の全部、受け止めてくれるかな」
 内容とは裏腹に冷たく低い声でそうささやくと、麗那先輩は深く腰を落とし、大薙刀の切っ先をまっすぐこちらへ向け、上段に構えた。
 あの突きが、来る。
 生存率0パーセント。麗那先輩の、文字どおり《必殺》の、一撃が。
 あのサイボーグ三星、数百キロの鋼鉄の塊すら吹きとばしたその圧倒的な破壊力の前には、防御など何の意味もなさない。
 回避できなければ、ぼくは死ぬ。
 全身の毛が逆立ち、汗がふきだしてくる。
「手加減なしでいくよ。縁人くん。死なないでね」
 にっこりと、無邪気な笑みを浮かべた次の瞬間……
 麗那先輩は、ぼくの眼前から、消えた。
 
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