極楽戦争 - End of End 著・富士見永人

 第六章「最終戦争」

   13

 温室でぬくぬくと育ってきたはずのお坊ちゃまが麗那先輩にも負けず劣らずの身体能力で跳ねまわり、眼にも止まらぬスピードと精度で赤月ばりの変幻自在の白刃の嵐を見舞うなど、誰が想像しただろうか?
「うわあ」
 悲鳴とともにぼくは本能的に後ろへ飛び、かろうじて難を逃れた。まともに受けていたら今ごろぼくの四肢は胴体から切り離され、そのまま羽をもがれたのように地面をのたうち、絶命していたことだろう。帝からの追撃はなかった。
 彼は構えを解き、両腕を広げてぼくを見おろした。身長はぼくより帝の方が十センチほど高い。そして余裕綽々としたその笑みは、やがて嘲笑ちょうしょうへと変わった。
「私がただの金持ちのお坊ちゃんであると思っていたかね。ふふん」
「まさか。ただのボンボンに赤月の両腕を切り落とせるはずがない。金に物を言わせていいコーチでも雇っていたんだろう」
「そう。帝家の人間には、物心ついたときから専属のトレーナーたちによる軍人顔負けの厳しい鍛錬が待っている。私も十九のスペシャリストたちから、ありとあらゆる武術を学んだよ。下層階級の下郎どもに遅れをとっているようでは《王》の器とは言えないのでね」
 帝は得意気に語っていた。自分が負けるとは微塵も思っていない、その傲慢なまでの余裕。
「解説どうも」ぼくは体勢を整えて言った。
 帝陽輝は《達人》だ。紛れもなく。
 最高の環境で、最高のトレーナーによる、最高の教育を受けて、彼は育ったのだ。
 彼の戦闘能力は、一騎当千と恐れられた規格外の超人たちと比べても遜色ないだろう。
 赤月が万全の状態で挑んだとしても、果たして彼に勝てたかどうか。
 これが白虎学園の支配者、帝陽輝の真の実力。
 彼は、権力に物を言わせるだけのボンクラでは、なかった。
 ……だけどね。
 君は一度でも命がけの、泥臭い戦場を経験したことが、あるかい?
 ここは戦場で、試合場ではない。
 何でもあり。ったもん勝ちの地獄だ。
 実戦での経験。場数。
 ぼくの唯一のアドバンテージ。
 ずる賢くて下品で、血と汗と泥にまみれた下層の戦場の作法を、君は知らない。
 ぼくは、帝陽輝の眼をまっすぐ見すえて言った。
「やってみなければわからないさ。何ごともね」
 不思議と恐怖感はなかった。死への恐怖よりも、この男をたおして全てを終わらせねばという使命感が勝っていたのだ。今ここにいるぼくにしか、できないことだ。ぼくがらなければ誰が殺る。
 不退転の精神に背を押され、ぼくは一気に前に出た。帝のサーベルさばきは敵ながら流麗りゅうれいで、無駄という無駄がなく完成されていた。ぼくの戦闘スタイルは八木師匠の名称不明の拳法と赤月から教わった小太刀二刀流のミックスであるが、その両方とも帝は熟知しているのか、こちらの動きを先読みして臨機応変にサーベルの軌道を変え、人体急所を正確かつ迅速に、狙ってくる。型通りの戦いをするだけかと思いきやそうでもなく、時に蹴りや掌底が飛んでくる。一対一の戦闘において、彼は相当戦い慣れていると言っていい。
 ぼくの右腕に鋭い激痛が走り、赤い飛沫が舞った。地面に落ちた赤いぼく自身は、雨水に溶けこんで急速にその存在を消していった。
「わかるさ。彼我の実力差もわからないほど、君は愚かなのかね」
 帝はぼくに向かってまっすぐにサーベルを伸ばしたまま、そう言った。
 このまま戦い続ければ、ぼくは赤月の二の舞になるだけ。ぼくより強い彼女が勝てなかったこの男に、ぼくが敵う道理はない。
 突きつけられるサーベル。突きつけられる、逃れようのない死。
 赤月のように両腕を切り落とされ、そして心臓に刃を突きたてられる自分が、脳裏をよぎった。
 ようやく命の危機を本能的に実感したのか、雨の中にもかかわらず全身から汗が噴きだしてくるのがわかった。
 怖い。しかし、逃げるという選択肢は、今のぼくの頭にはなかった。
「あああ」
 恐怖を裂帛れっこうの気合で吹きとばし、ぼくはなかば無理矢理に帝へ突撃する。
 帝のサーベルの間合いのぎりぎり外から、ぼくは全身を急激に前に傾かせ、さらに一歩踏す。
 最初に帝と対峙したときに繰りだした、響ちゃん直伝の妙技・縮地法しゅくちほう
 そして今度は掌底ではなく、その手に握られた小太刀をまっすぐ、帝の心臓めがけて突きだした。
 がし。
 帝は特に驚いたそぶりも見せずに、あっけなくぼくの手首を鷲づかみにした。
「ふん。私が二度も同じトリックに引っかかると思っていたかね」
 みしみしめきめき。
 万力のような凄まじい力が帝の手にこめられ、ぼくは思わず「ぎゃあ」と呻き、反射的に反対側の手に握られた小太刀を帝の脇腹に突き立てようとしたが、彼のサーベルに阻まれた。
 そしてすぐに砲弾の直撃を受けたようなすさまじい帝の蹴りがぼくの腹に加わり、ぼくは海老のように背を丸め、ものすごい勢いで宙高く飛ばされてしまった。根津に撃たれた脇腹の傷が裂け、赤黒い粘性の物体が飛び出し、さらに口からゲロと胃液と血液が入りまじったグロテスクな赤茶色の吐瀉物としゃぶつをまき散らして、地面に見事なスプラッターアートを描いた。
「あ。か。か。かは」
 胃腸と食道と口腔内にすさまじい激痛が走り、あまりのショックにぼくは失禁した。体がバラバラになってしまったかのような、そんな錯覚さえ憶えた。
「他愛もない」
 帝は構えを解いて、地面で胎児のように体を丸めてうずくまるぼくに、歩み寄った。
「王に楯突いた愚か者の末路にふさわしい醜態だな。しょせん下層は下層。身の程をわきまえておとなしくしていれば死なずに済んだのだ」
 そう言って帝は、サーベルを逆手に持ちかえ、切っ先を下に、つまりぼくの体に向けて、振りあげた。
「階級の秩序を乱した反逆者に、死を」

 ばしゃ。

 帝の顔が、突然赤茶色に彩られた。
 馬鹿はお前だよ。
 相手にとどめを刺すまで何が起きるかわからない。
 それが戦だ。お坊ちゃん。
 ぼくは最後のどたんばで全身の力をふりしぼり、地面にぶちまけられたぼくのスプラッターアートをすくいあげて、彼の高貴で眉目秀麗びもくしゅうれいなその顔に、おみまいしてやったのだ。
 帝の顔に青筋が立ち、なかば反射的に彼は左手で付着した汚物を拭い取ろうとした瞬間……
 とす。
 あっけなく、ぼくの小太刀が帝の腹のどまん中に、突きたてられた。

 そして、帝の顔に、先ほどのものと同じ、獰猛どうもうな笑みが、浮かんだ。

「刺さらない」
 満身創痍で力がほとんど入っていなかったのか、それとも帝の着ていた防弾チョッキに防刃性能もついていたのか、ぼくが彼の腹に突きたてた小太刀は、切っ先がわずかに服の中に埋没しただけで、止まっていた。
 ぐちゃ、と、湿った音がぼくの耳にとどいた。
「あっ」
 気づいたときにはもう遅い。
 帝が江口先生の腹を裂いた、あのときと同じように、彼の左手の指先が、根津に撃たれたぼくの脇腹の銃創に、埋没していた。
「んん。惜しい。実に、惜しい」
 激痛とともに、生きたまま腹の中をぐちゃぐちゃにかき回される、何とも形容しがたい気色の悪い感触に、ぼくの意識もむちゃくちゃにかき乱されていた。
「――――」
 声にならない声というのは、こういうことを言うのだろう。
 ぼくの断末魔の叫びが、乱発する雷鳴に入り混じってさながら地獄の歌劇オペラという様相だった。
 全身が高圧電流でも流されたように【痺/しび】れ、もはや体が言うことを聞かず、眼球が痙攣けいれんしだしたのか世界がぐりんぐりんと回りはじめる。
 足に生温かい何かが伝わり、流れ落ちていく。
 たぶん帝にえぐり出された血と臓物が、一斉に地面にぶちまけられているのだろう。
 内臓を根こそぎ引きずり出された人間が、生き延びる道理はない。
 どうせ死ぬのなら、眼の前のこの男もせめて道連れにできるように、体中にダイナマイトでも巻いてくればよかったかな。今さらどうしようもないけれど。
 小説の主人公ばりの強運でこれまで生き延びてきたぼくの命も、もはやここまで、か。

 すみません。乾さん。赤月。みんな。
 ぼくは結局、帝陽輝には勝てませんでした。

 さようなら。世界。
 

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