白金記 - Unify the World 著・富士見永人

 第三話「尋問」

 ぼくを乗せた黒塗りのジャガーの行き先は警察署ではなく、大通りに面した広大な立地の、赤煉瓦れんが造りのレトロな、しかし大手百貨店のように巨大な建物の地下駐車場だった。建物正面には大きなローマ数字の時計台が備わっており、時計の針は午後九時二十五分を示していた。
 ぼくの破壊された左腕には、応急処置として警官の警棒が添え木代わりに当てられ、包帯が幾重にも巻かれていた。
「さっさと歩け」
 警官の怒声に体が強制的に反応し、ぼくは震える足で車を降り、先を行く安那子あなごの後を歩みだした。駐車場の奥にある、ゆうに五十人は乗れそうな巨大なエレベーターに乗りこむと、安那子は「2」のボタンを押した。彼は移動中にずっと電話で誰かと話していた。態度から察するに、彼の上司にあたる人間だと思われた。
 エレベーターが二階にたどり着くと、ぼくはまず医務室へ連れていかれ、そこで添え木を交換、包帯を巻き直された。そしてそのまま厚い鉄格子付きの扉の部屋まで連れられ、放りこまれた。安那子たちが無言のまま乱暴にばたんと扉を閉めると、直後にがちゃりという施錠音が冷たく響きわたった。
 部屋は狭く、むきだしのトイレと、粗末な造りの机とベッドがあるのみだった。窓には鉄格子、天井には監視カメラ。まるで刑務所だ。
 すっかり気力も体力もなくしていたぼくは、吸い寄せられるようにベッドへ横たわり、全身麻酔でもかけられたかのように、気を失った。

 眼がめると、独房の入口の扉の前に食事が置いてあった。
 窓の外から侵入してきた太陽の光が、ぼくの体に鉄格子のシルエットを映しだしている。外を覗いてみると日はすでに高く、眼下の通りには数多の車が行き来していた。ぼくはいったいどのくらい眠っていたのだろう。
 ベッドから起きあがると、折れた左腕に激痛が走り、それが引き金となって昨日の《悪夢》が蘇る。胃液が逆流したのか、ぼくの喉元あたりに焼けるような痛みが走った。
「うげ」
 たまらずぼくはベッドの脇にあった便器の底に、おそらくは胃の中にあったすべての醜悪な澱みゲロを、ぶちまけた。
 夢じゃなかった。
 昨日ぼくは、突然押しかけてきた警官たちに覚醒剤所持などという言いがかりをつけられ、左腕を壊され、愛しの妹は強姦されてしまった。警察が正義の味方などという子供じみた幻想を抱いていたわけではなかったが、曲がりなりにも法の番人である彼らが無辜むこの少女をレイプしたのはさすがに衝撃だった。
 この世界に正義もクソもあるものか。力こそすべて。
 人間の本質は力への意志だとニーチェは言ったが、まさにその通りだと思った。あるいは、彼らは警察をかたっただけの、ただの犯罪者なのか。
 入口の前の食事に眼を向ける。シーフードカレーは嫌いではなかったが、今はとても食事をする気分にはなれなかった。
 しばらくすると、扉の鉄格子の向こう側に黒いスーツ姿の強面こわもての男がふたり現れ、扉を開けた。
 男のひとりが要件も告げずにただ高圧的に「出ろ」とだけ命令した。容疑が晴れたのかと一瞬淡い期待を寄せたが、ぼくが連れていかれたのは建物の一番奥にある「取調室」と書かれた部屋。
 天井の中央に埋めこまれた二本の白色の蛍光管が八畳程度の取調室を冷たく、薄暗く照らし、中でふたりの人間がぼくを待ち受けていた。
 ひとりは白く輝く舐瓜メロンマークが印象的な高級ノートパソコンをかたかたと操作している黒いスーツ姿の青年で、整然と分けられた七三の黒髪と銀縁眼鏡、そしてその奥から覗く切れ長の鋭い眼光が、いかにも仕事のできそうなエリート官僚という雰囲気をかもし出していた。
 もうひとりは私服姿の女性だった。歳の頃は三十代後半から四十くらいか、華やかな深紅のカットソーに、腰のあたりに印象的な薔薇ばらの装飾が施された黒いロングスカートという出で立ちで、あでやかな栗色の髪は先端であかいシュシュに束ねられ、薄い化粧に彩られたその面貌には柔和な笑みが浮かび、どこか社長夫人のような上品さが漂っていた。
「はじめまして。私は高神麗那たかがみれいな、国家保安委員会情報総局の局長を務めています。こちらは部下の後藤」
 何だかすごそうな肩書きを名乗った後で、高神麗那と名乗った女性は優雅に一礼した。七三の男も追従して軽く頭を下げた。
「あなたが朱井空あかいそらくんね」
 彼女にそう尋ねられ、ぼくは「はひ」と、緊張のあまり舌をかんだ。
「昨日は不肖の部下が無礼を働いたみたいで。ごめんなさいね。組織内の風紀が乱れている証拠だわ。あなたの妹君を辱めた安那子捜査官は今日づけで懲戒免職、および二度とこのような悲劇が起こらないよう、私の権限で独自に制裁を下しておきました。これが、我々の誠意の証」
 そう言うと高神は机の上に置かれた透明な袋状の物を、ぼくに差しだした。
「ひ」
 ぼくはおもわず呻いた。

 袋の中身は、切断され、血にまみれた、男性の陰茎だった。

 おそらく安那子のものだろう。何らかの方法により、彼の犯罪は高神にバレていたということ。
 強烈なショックからか、ぼくの食道のあたりをふたたび焼けつくような痛みが襲った。
「あらあら。ごめんなさい。脅かすつもりはなかったの。ただ、我々がたとえ身内であろうと悪事を働いた者には厳罰を下す公正な組織だということを、わかってほしかったの」
 高神は柔和な笑みを崩さずにそう言った。それが逆に恐ろしかった。
 しかし安那子の汚い一物を見せつけられたところで、ぼくの左腕が元通りになるわけでもなければ、強姦された星子の心の傷が癒えるわけでもなく、溜飲を下せるはずもない。
 高神は続けた。
「さて。本題に入りましょうか。朱井くん。ここに招かれた理由に、心当たりはあるかしら」
 心当たり、か。バイト先での経歴および性別詐称などという些末な罪で国家保安委員会、つまり秘密警察がぼくをわざわざひっとらえるとは思えない。そんなものは末端の《普通》の警察署の仕事である。彼ら国家保安委員会の仕事とは読んで字のごとくこの国の治安の維持、たとえば防諜やテロ組織の撲滅であり、そのための超法規的な権限も与えられている。
「覚醒剤所持、でしょうか」
 とりあえず表向きの罪状を上げてみた。
「それは自らの意思で覚醒剤を所持していたことを認めた、とみなしていいのかしら」
 高神は悪戯いたずらっぽい笑みを浮かべて言った。
 ぼくは慌てて否定した。
「ちがいます。ぼくは覚醒剤なんて見たこともない。でっちあげです」
「そうね。あなたはそんな危ない橋を渡るようなタイプには見えないわね」
 意外にも彼女はぼくの弁明を全面肯定した。まるではじめから真相を知っているかのように。
「我々があなたをここに呼んだのは、もちろん覚醒剤の件ではないわ。そう、もっと別の、重要なことよ」
 まさか、さらなる大罪をでっちあげるつもりだろうか。
 そして、父さんや母さんのようにぼくを……
 そう考えた瞬間ぼくは後ろにのけぞり、足をもつれさせて後ろに転倒しかけたところで、いつの間にか眼前にいた高神に、社交ダンスのオーバースウェーのような格好で支えられていた。ただし男女逆。
「大丈夫?」
「あ。はい。ありがとうございます」
 お礼の言葉が口をついて出た。
「あなたに危害を加えるつもりはないわ。我々の要求に素直に従ってくれれば、の話だけれど」
「要求?」
 ぼくが思わず唾を飲みこむと、高神の目線が一瞬、ごくわずかに下へ動いた。
「まず、私の質問にいくつか正直に答えてほしいわ。日本の平和のためにも」
 立ち話もなんだから、と、高神はぼくの体を起こすと、いつの間にか背後にいた七三眼鏡の後藤が用意したパイプ椅子の上へと座らせた。彼女はぼくよりも五センチばかり背が低かったが、何か武術でもやっているのか、重心が見事なまでに安定しており、ぼくはまるで彼女のてのひらもてあそばれる子供のようだった。
 高神はぼくの向かい側に腰かけると、ぼくの眼をまっすぐ見つめて、こう質問した。
「では、訊くわ。《悪魔の太陽》について、何かご存知かしら?」
「悪魔の、何ですか?」
 ぼくは即座に聞き返した。
「太陽」
「知らないですね。テロ組織の名前か何かですか」
「違うわ。私の好きな小説よ」
「はあ」
 予想の斜め上の答えが返ってきて、ぼくはどう反応していいかわからなかった。
「冗談よ。あなたの答えでほぼ合ってるわ。なかなか鋭いわね」
 高神は感心したように拍手しながらそう言った。勘で適当に言ったのだが、どうやらうっかり的のど真ん中に命中させてしまったらしい。余計な疑いをかけられたら厄介だ(失言を恐れて黙秘していれば、それはそれでどんな言いがかりをつけられるかわかったもんじゃないが)。
「国家保安委員会のお仕事から想像しただけです」
 ぼくは即座に言いつくろった。
「そうでしょうね。そういうことにしておくわ。……正確には、テロ組織のリーダーの、通り名のようなものよ。裏社会ではそう呼ばれているの。あなた、新聞は読んでる?」
「読んでないですね。お金もないし、しつこい拡張員に屈するのもしゃくなので。父さんが生きていた頃はよく読んでたんですが」
「ふうん。お父さん、ね」
 ぼくが父について触れると、高神は一瞬間を置いて、意味深な反応を示した。父さんの死に彼女が関与しているかどうかはわからないが、覚醒剤所持をでっちあげてわざわざ連れてこさせるくらいだから、ぼくの家庭事情くらいは把握しているだろう。
「勝手ながら、あなたの《ご両親》についてはこちらで調べさせていただいたわ。これも日本の平和を守るため。許してちょうだいね」
 高神は深々とぼくにこうべを垂れた。
「ユアナンバーなんてものができてから、日本人のプライバシーなんてあってないようなもんです。今さら気にしませんよ」
 ぼくは皮肉交じりにそう言った。この女が本心から謝意を表してないというのはわかっていたが、相手が下手に出るとついつけあがってふてぶてしい態度をとってしまうのは、ぼくの悪い癖である。
「では、次の質問ね。この男性に見憶えはあるかしら」
 高神は一枚の集合写真をぼくに差しだし、左の端の方に写っている男性の顔を指差して、訊いた。

 ぼくは、その男性に見憶えがあった。
 

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