「誰よ、その女」
四月半ば、都内の桜舞い散る夜の公園にて密かに抱きあい接吻をしていた女ふたりを、赤淵眼鏡をかけたスーツ姿のキャリアウーマン風女性が睨みつけ、糾弾した。
キャリアウーマンの名は、電信網子。
今日も二十二時過ぎまで会社でサービス残業し、ボロ雑巾の如くズタボロとなった精神状態で帰途についていたアラサー女SEである。
「あ、網子。どうしてここに」
抱きあっていた女の片方――ややウェーブのかかったゆるふわな髪が可愛らしい小柄な二十代女性は、顔をこわばらせてキャリアウーマン網子を見やった。休日サービス出勤の連続で三十連勤めを迎えた低賃金長時間労働に喘ぎしブラック保育士である子好保子の、その眼の下には蓄積せし疲労がクマとなって現れていた。
「何よ、この女。あんたのセフレ?」
保子と抱きあい接吻していた女――派手な金髪にピアス、濃いめのメイクに露出度の高い格好をしたキャバ嬢風の女性、しかしその実態は老人ホームで毎日認知症老人の暴言暴力に耐えに耐え精神に異常をきたしつつあるブラック介護士の戯厄泰子――は、特に悪びれた様子もなく網子を一瞥し、保子に問うた。
「どうしてここに、じゃないわよ。質問を質問で返さないでまず私の質問に答えて。その女は何って聞いてるのよ!」
ブラック労働で荒みきった精神が、網子の言葉に毒を盛る。
「はじめまして〜。あたいは泰子。保子の女だよ」
べ〜、と、ピアスのついた舌を下品に突きだしながら、保子に代わって泰子が言った。
「保子の女は私よ! この売女」
「アアン!? 誰がビッチだってェ〜? 腐れマ○コの肉便器はすっこんでろ」
互いにブラック労働で精神に異常を来たした者同士、売り言葉に買い言葉、臨戦状態である網子と泰子に、オロオロしながら保子が距離をとる。
「あっ。ちょっと、ふたりとも落ちついてよ。ほら、そろそろ帰って寝なきゃ。明日もお仕事早いんでしょ。あっ。私も明日早番で始発で出勤だったわ。ご機嫌よう〜」
早々に退却しようとした保子の服を泰子がぐわしと掴み、無理矢理抱きよせてふたたび接吻をした。
「大丈夫よォ〜、保子。あたいはあんたの味方だから。あんなアラサーのヒス女のことなんかほっといて、あたいの家でラブラブチュッチュしましょ♡ それがいいわ。そうしま――」
ボスン!
瞬間、鈍い音が響きわたり、泰子の言葉が中断した。
泰子の狼藉に耐えかねた網子が、泰子の脇腹に鋭いボディブローをおみまいしたのだ。
「コラ。おんどりゃ何様のつもりじゃワレ」
ぶち切れて地元の広島弁が出た網子が、昏倒してもんどりうっている泰子を無慈悲にハイヒールの踵で踏みにじる。
そして、泰子に対抗するべく保子を無理矢理抱きしめ、濃厚接吻をした。
「HMMMMM」
網子の予想外の行動に、保子は眼をパチクリさせ、声にならない声をあげた。
「あなたは私のモノよ。保子。さっきは声を荒げてごめんね。泥棒猫は排除したわ。だから、今日は私の家でめちゃくちゃセック――」
ガツン!!
直後いつのまにか復活した泰子が見事な飛び後ろ回し蹴りを網子の側頭部におみまいした。
「ふざけんなよテメェ〜。このアバズレ野郎ォ〜!」
ボディブローによって怒りに我を忘れてしまった泰子は。
ふっとんで地面を無様に転がる網子に、追い討ちをかけるべく馬乗りになり。
暴力的に破顔いながら網子の端正な顔を破顔するべく。
雨霰と無数のパンチをおみまいし始めた……!
「あっ。やめて。やめてよ。ふたりとも。私のために争わないで……!」
そんな保子の背後に迫りくる影が、ひとつ。
「あら。保子。どうしたの、そんなに慌てて」
現れたのは長身の短髪女性――署内柔道訓練という時間外労働を経て今日も夜遅くに帰宅中の婦警である刑部巡子が現れ、保子に抱きついて接吻をした。
「ああ。巡子。よく来てくれたわ。彼女たちが――」
婦警である巡子に制止してもらおうとして――しかし保子は一考し、そのアイデアを棄却。
「……何でもないわ。酔っ払いの喧嘩みたい。巡子、今日は私の家でふたりでイチャイチャしましょ」
泰子は網子を殴るのに夢中で巡子の存在に気づいていない。
網子は泰子に破顔られていてそれどころじゃない。
なら巡子と一緒に、さっさとこの場から離れてしまおう。
明日も朝早いし、誰でもいいから早く性交したいわ。
――それが、保子の導きだした結論であった。
彼女もまたブラック労働によって精神を破壊され、薬物中毒の如く性行為に依存していたのである。
婦警である巡子も保子とさっさとしたかったので、眼の前で繰り広げられる乱闘を見なかったことにして、保子とふたりで夜の闇の中に消えていった……