世界一の超大国アメリカ大統領ドン・プラトン――その娘であるイヴァンナが、ある日魔女を名乗る正体不明のテロリストに誘拐されるという事件が起きた。
おお、哀れなイヴァンナ姫。
彼女は魔女によって、永遠の眠りにつく魔法をかけられてしまったのです。
イヴァンナ姫を覚醒めさせるためには、白馬の王子様による接吻が必要です。
さあ、無事に彼女を探し出し、救うことのできる王子様は、果たして現れるのか――!?
……などといった投稿が、アメリカの匿名型SNS・ツイスターに書きこまれ、一大騒動となった。
「何なんだ、こいつは!」
ホワイトハウスで公務を終えた後、その書きこみを見たプラトン大統領は、憤激してスマートフォンを床にたたきつけた。
真偽を確かめるべく、愛娘であるイヴァンナに電話をかけてみるが、留守番電話サービスの無機質な声が聴こえるのみ。
娘の家にかけると使用人が応対し、イヴァンナは昨日の夕方に食事に出かけると出ていったきり戻ってないという。
どうやらイヴァンナが何者かに誘拐されたのは事実のようだ。
プラトンはただちに警察に連絡し、娘を捜索させた。
FBIすらも動かして世界中をくまなく捜した結果、イヴァンナはとある南方の孤島にある洞窟に幽閉されているとわかり、プラトンは特殊部隊を引き連れ、娘を救うべく自ら先陣をきって殴りこみをかけることにした。
「あら、いらっしゃい」
洞窟の中にいたのは、黒い外套を身に纏い先端の尖った大きな帽子を被った怪しげな女だった。
「娘さんの〈ゲーム〉の行方を見に来たのかしら?」
……などと平然と言い放つ、この〈魔女〉に対し。
完全に頭に血が上っていたプラトンは、懐から四十五口径の自動拳銃を取り出し、その銃口を向けた。
背後にいたSWAT隊員たちも続々と短機関銃の銃口を一斉に向け、魔女の顔が凍りつく――
そう、こいつが娘を誘拐して魔法をかけて眠らせた、などとSNSにふざけた投稿をしやがったのだ。
今にも引金を引きそうな形相のプラトンに、魔女は。
「えっ。ちょっと。何」
うろたえながら、両手を上げる。
「娘を誘拐しておいて、わけのわからんことを言うな。今すぐイヴァンナを解放してもらおうか」
銃口を向けて迫る、プラトン。
「何よ。どういうこと!? まさか、何も聞いてないの?」
眼の前の魔女は恐怖に顔を歪ませ、何度も首を横に振り続けている。
「わ、私はイヴァンナに頼まれて、眠りの魔法をかけただけよ」
両手を上げたまま、弁明し始めた魔女に対し。
「どういうことだ貴様。死にたくなければ、本当のことを話せ!」
プラトン大統領は興奮気味に叫んだ。
魔女は一瞬気まずそうにイヴァンナを見遣ったが、命が惜しかったのか、観念したように語りだした。
「私は元々ニューヨークで占い師をしていたの。このご時世、魔法なんて代物で食っていけるほど資本主義は甘くはないからね。でも占いだけは別だった。もともと第六感には自信があったし、精霊をうまく使えば依頼者を操作して予言を実現させることもできた。そしたら日々客が増えてきて、SNSで話題になって、とうとうイヴァンナが私の元へ来たのよ」
「それで。娘はお前に眠りの魔法をかけろと依頼したのか」
相変わらず剥き出しの敵意を隠さず詰問するプラトンに対し、魔女は。
「そ、そうよ。しかもよりにもよって『運命の王子様にしか解けない眠りの魔法をかけろ』ときたわ。こいつ正気か、と――」
パァン、と、乾いた音が響き渡った。
プラトンの放った弾丸は、しかし魔女の帽子を貫き、地面に叩き落とした。
「娘への侮辱は許さん。次は――当てる」
憎悪に眼をぎらつかせたプラトンは、しかし静かに魔女に宣告した。眼が本気だった。
「わ、わかったわよ」
冷や汗をかきながら、魔女は言った。いくら魔法などという超常現象を操る魔女も、銃には勝てない。それが現実である。呪文を詠唱しているうちに鉛弾ぶちこまれて終わりだからだ。
「娘にかけた魔法を解除してもらうぞ」
銃を向け、威圧するプラトンに。
しかし魔女は、青ざめた顔で頭を振った。
「なぜ解除できぬ!」
「ま、魔法を使う際に悪魔とそう契約したからよ。これが契約書よ……」
魔女の手から、何やら見たこともない文字が浮かび、プラトンたちにもわかるように、空中に投影された。
「『翻訳せよ』」
魔女が小声で翻訳魔法を唱えると、その異世界の文字の下に、英語の訳文が表示された(文末に小さな文字で「Tranlate by Deevil」などと書かれていた)。
真剣な顔で、契約書に眼を通すプラトン。
「なになに。『甲は乙に対し、規定の魔力と引き換えに当魔法を提供する。当契約の変更は甲と乙の話しあいにより可能であるが、その際乙は甲に対し五十兆米ドルの違約金を支払うものとする』――何だ、このふざけた契約書は! こんなものは無効だ、無効!」
プラトンは烈火の如く怒り狂い、魔女のこめかみに銃口を突きつけ叫んだ。
「悪魔に言ってよ。私に契約を変更する権利はないわ。私たち魔法使いは、自分たちで超常現象を起こしてるわけじゃない。神や悪魔に魔力を献上して魔法を使ってもらう、代理人に過ぎないのよ……!」
「くそ。紛らわしい名乗り方しおって。なら、今すぐここにその悪魔を呼べ!」
拳銃の撃鉄をガチリと起こすプラトンに対し、魔女は。
「……ど、どうなっても知らないからね」
さすがに死ぬのは怖いのか、渋々同意した。
プラトンとSWAT隊員たちに銃を向けられながら、魔女は白いチョークで地面に怪しい魔法陣を描き、呪文を詠唱し始めた。
「『盟約に従い顕現せよ、悪魔の王』――」
すると魔法陣が妖しく光り。
タキシードを来たひとりの美青年が、姿を現した。
「こいつが、悪魔だと……?」
プラトンが怪訝そうな顔で言った。
どう見ても二十代くらいの人間の男にしか見えなかったからだ。
「貴様、くだらないトリックでわしを騙してるんじゃないだろうな」
銃を突きつけ、魔女を恫喝するプラトンに対し、青年が口を開いた。
「はい。私は悪魔です」
丁寧な仕草でお辞儀をし、しかしすぐに嫌悪感を露わにし。
「こんな時間に呼び出されたと思えば、何ですか、あなたがたは。無防備の女性に銃など突きつけて。とりあえず、彼女を解放していただけませんか。話しあいましょう」
プラトンは「ふん」と鼻を鳴らし、魔女を突き飛ばし、今度は自称悪魔にその銃口を向ける。
「娘を眠らせているのは、貴様か? 今すぐに娘にかけた眠りとやらを解いてもらおうか。死にたくなかったらな」
だが、悪魔はまったく動じる様子はなく。
「私と彼女の同意の下に成立した契約を、暴力による威嚇でなかったことにしようとする。極めて横暴な振る舞いですね。契約社会アメリカの指導者とは思えません」
冷ややかに、しかし嘲るような笑みで、そう言ってのけた。
「うるさい! 貴様は一体、誰の娘に手を出したと思っているのだ。いいから今すぐに娘を解放しろ! さもないと鉛弾ぶちこんでやるぞ!」
プラトンに呼応するように、特殊部隊の兵士たちも一斉に銃口を悪魔に向けた。
「それはできませんねえ。違約金五十兆ドルを用意して出直してきなさいな」
あくまで怯むことなく肩を竦めた、悪魔を名乗る男は。
「撃――」
射殺を命じようとしたプラトンの命令を、しかし遮って。
「ああ、ちなみに私が死んでも娘さんは覚醒めませんよ」
まさに悪魔のような――いや悪魔そのものの笑みで、告げた。
「無理矢理魂を引っこ抜いて仮死状態にしているので、私が死ぬと娘さんも死にます。それでも良ければ、どうぞお撃ちくださいな♪」
先ほどまで憤怒で真っ赤に染まっていたプラトンの顔から、急に血の気が引いていくのが誰の眼にも明らかだった。
「そ、そんな苦し紛れのハッタリが通用するとでも思っているのか……!?」
「ハッタリかどうかは、撃ってみればわかりますよ。いくら私が悪魔といえど、鉛弾でハチの巣にされればさすがに死にますので、試してみたらよろしいかと」
「う……うう……この人非人めが……」
プラトンは観念したように、銃口を下ろす。
「悪魔ですので☆」
計算通り、と言わんばかりに、悪魔は嗤う。
「どうすれば、娘は覚醒めるのだ……王子様、と言ったが、それはどこの誰のことなんだ」
先ほどまでの威勢はどこ吹く風か、プラトンは縋るように魔女に訊ねた。
「わ、私にはわからないわ……イヴァンナの運命の男性、としか……」
「だからその運命の男性とは誰なのか、と訊いているのだ。貴様は占い師なのだろう。占いでわからないのか?」
明らかに追いつめられたプラトンの態度を見て――
魔女は、心の中でほくそ笑む。
こいつ……たしか大統領だよな。
娘を覚醒めさせるためなら、いくらでも積みそうだ……
ここはひとつ、カマをかけてひと儲けしてやるか!
「私の魔法をもってすれば、イヴァンナさんの運命の相手を占うことも、不可能ではございません」
急に丁寧なビジネス口調になり、魔女は金をせびるように指をすり合わせた。
「しかし……安くはありませんが」
「何だと」
プラトンはふたたび怒り、魔女に銃口を向ける。
魔女は一瞬怯みはしたものの……
「おっと。いくら銃で脅されようとも、私もプロですから……! 脅迫には屈しませんよ。仕事をするからには、対価をお支払いいただくのは当然でしょう。あなたもかつてビジネスマンだったのならわかるはず。甘ったれるんじゃありません」
私を殺せば、娘の王子様探しをする方法は失われる。
つまりプラトンは、私に対して引金を引けない。
……などと、魔女は高をくくっていた。
脅しが通じないと判断したプラトンは、渋々銃口を下げる。
「わかった。いくらでやるんだ」
ちょろいな~、大統領~。
……などと、心の中で嘲り笑う魔女は、しかし微塵もそれを顔に出すことなく。
「これも何かの縁ですので、特別奉仕価格! ――百万ドルでいかがでしょう♪」
「アアン!?」
パァン!
――プラトンの予想外の行動を読めなかった魔女は、あっさり心臓を撃ち抜かれて即死した。
「しまった。カッとなってつい殺っちまったゼ……」
頭を抱えるプラトンは、しかし。
「まあ、欲張りは危険ということだ……脅す相手を間違えたな。おい。引きあげるぞ。他の占い師を探そう。こいつの代わりなどいくらでもいるだろう」
プラトンが踵を返して特殊部隊兵士たちを促すと――
「あれ……パパ? こんなところで何をやっているの?」
イヴァンナが、いつの間にか覚醒めていた。
「あ~。いい忘れていましたけれど、契約者の魔法使いが死亡した場合、契約自体が無効になります。事後報告ですいませんね~♪」
悪魔はヘラヘラと冷たい笑みを浮かべ、そのまま大気中に溶けこむように消失した。
「えっ。ちょっと……な、何でサマンサが撃ち殺されているのよ……ま、まさかパパが殺して、眠りの魔法を解かせたんじゃ……」
非難するような娘の視線を受け、プラトンは慌てて思考する。
まずい――このままでは娘に嫌われてしまう。
「ち、違うんだ。イヴァンナ。これは、だな」
「どう違うっていうのよ! この人殺し! 悪魔!」
父の手に握られた拳銃を見て、イヴァンナは悲鳴に近い声で叫ぶ。
「違う……誤解だ。実はお前の夫になるべく、たくさんの野蛮な男どもがここに押し寄せて無理矢理お前に接吻をしようとしたんだ……! お前の美貌と私の財産を考えれば当然のこと。だから私は、それを食い止めるために特殊部隊とともにここへ来てお前を守っていたというわけだ。しかし残念ながら彼女だけは流れ弾をくらって死んでしまった……残念なことだ」
「そうだったの……ありがとう、パパ。疑ってごめんなさい」
父の言うことを鵜呑みにしたのか、イヴァンナはプラトンに抱きついた。
我ながらよくこんな嘘をつくな、と、プラトンは自分の演技の才能を内心で讃えた。
魔女の遺体はイヴァンナが丁重に葬り、これに懲りた彼女はプラトンの紹介でお見合いした財閥の御曹司と結婚し、すべてはなかったことにされた。
世界は今日も平和だった。