二月十四日といえば、バレンタインデー。
日本では女性が意中の男性にチョコレートを渡す恋の一大イベントとして、持つ者と持たざる者の差が明らかになる残酷極まりない日でもある。
しかし昨年十月に引きあげられた消費増税の影響により、チョコの売上は激減。
国民の大多数は自分たちの生活で精いっぱいであり、意中の相手以外に余計なチョコを配る余裕はなかったのだ。
そんな不況の中、業を煮やした製菓会社が水面下で政治家に金を渡し、世紀の悪法〈バレンタイン法〉が可決してしまった……!
法案の中身はこうだ。
『我が国の満十八歳以上の女性は、異性の家族、三親等以内の親戚、そして所属している組織のすべての異性にチョコを配らなければならない』と。
そんなバカな、と、読者諸兄はお思いかもしれないが、これはまごうことなき現実。
なかば強制的にチョコを買わせれば製菓会社が潤い、雇用が創られ、市場に金が出回り、また持つ者と持たざる者の格差も解消され、(表向きは)平等な社会が実現するであろう! ――と。
むろんこんなバカげた法律に従う必要などない、と、最初は世の女性の大半が考えていた。
だが、法治国家にとって法律は絶対。
違反者の続出という事態を重く見た政府は、密告者に報奨金を支払う制度を開始し。
閣議決定で秘密警察を発足させ、日本全国に監視網を築き。
チョコを配らぬ反逆者たちを、次々と断罪していったのであった……!
何せ日本はまだまだ男社会。
製菓会社に金をもらわずとも、チョコほしさのあまりバレンタイン法に賛同していた議員は多い。
数少ない女性議員は全員反対したが、圧倒的多数を誇る男性議員に数で押し切られてしまったのだ。
この法律を利用して製菓会社最大手の昭和製菓代表取締役会長は巨万の富を築き、その資金を元に日本一の巨大財閥〈昭和グループ〉を築きあげ、日本経済連合団略して経連団を支配、政治家を次々と買収して飼いならし、とうとう日本征服を成し遂げた。
昭和製菓のお膝元となった今の日本において、バレンタイン法に反対する者は秘密警察によって逮捕、強制収容所に送られ、労働教化刑を受けることとなっている。
日本は表向きは法治国家だが、今は政府が警察や司法組織を完全に掌握しており、その気になればいくらでも罪をでっちあげて簡単に投獄できる、事実上の独裁国家と化しているのである。
だが。こんな暴挙に出ては国民たちの不満は溜まりに溜まり、中には異を唱え、立ちあがる者たちもいた。
彼らは〈バレンタイン解放戦線〉と名乗り、反政府組織としてすでに水面下で活動を始めていた。
「バレンタインでチョコを渡すも渡さないも自由のはず。その権利の侵害を、許してはならない!」
都内某所のオフィスビル、その地下の秘密のアジトで、頭目である若きカリスマ・如月恋子が、咆吼する。
その額には「バレンタイン法粉砕!」と書かれた鉢巻が巻かれていた。
「もらえるのが当たり前の環境でチョコをもらって、何がうれしいのか!」
「そうだそうだ!」
恋子の主張に、鉄パイプや釘バットを手にした革命闘士たちが同調し、鬨の声を張りあげた。
かくしてバレンタイン解放戦線はクラウドファンディングによって世の女性たちから資金を獲得し、続々と勢力を拡大。
官邸の前で連日デモを繰り広げ、バレンタイン法の廃止を訴えていた。
その様子を……まるで生ゴミを見るかのように冷たい眼で見おろす者、一名。
「またレジスタンスが無駄な抵抗をしておるのか……」
彼こそが日本の実質的支配者、昭和グループ会長・昭和太郎その人である。
否――今や彼は一企業の会長職などとうに超越し、総理をはじめとする政権与党愛国党の全議員を従え、〈日本国総統〉として君臨するに至っていたのだ。
官邸では現在、閣僚会議が開かれていた。
この場にいる閣僚は全員、かつてろくにチョコレートももらえずバレンタインを憎んでいた男たちだった。
「いかがいたしましょう」
そう問う総理大臣に、〈総統〉は。
「全員逮捕しろ」
――と、ただひと言、冷たく命じた。
「警察だ。貴様ら全員威力業務妨害およびヘイトスピーチ対策法違反で逮捕する」
「何がヘイトスピーチか! この公権力の犬めが」
街宣車の上で唾を飛ばしながら喚く恋子に、大盾を構えた機動隊を率いる隊長が、叫ぶ。
「だまれ犯罪者どもめが! 貴様らに非モテの不幸がわかってたまるか! 顔とか身振りとかどーでもいい理由で人を振りやがって! 男は顔じゃねえ!」
機動隊長は、その蛙に似た醜い顔を憎悪に歪ませ、支離滅裂に喚き散らした。
その言葉にカチンと来た恋子もまた、反撃する。
「うるせェ知るか! モテたきゃモテる努力をしろよ! 髪や服装を整えて、清潔感ある最低限の身だしなみくらい何とでもできるだろ! 法律変えてまでチョコ強制すんなよ! 欲しい欲しいってダダをこねるな! 欲しい物があるなら、手に入れる努力をしろ! 戦って手に入れろよ!」
かくして官邸前では喧々囂々、血で血を洗う武力闘争が行われ。
デモに参加していた数十人もの女性が病院に搬送される騒ぎとなった。
恋子たち〈解放戦線〉は来る日も来る日も警察の鎮圧部隊と格闘し、デモを強行した。
女性はおろか、一部の男性すら最近の政府の横暴っぷりに辟易し、恋子たちの活動を支持していた。
――だが、それだけである。
一部の人間がデモをやるだけで転覆できるほど、政府は甘くはない。
バレンタイン法が可決されてから早三年。
世の女性たちは各々の生活で精いっぱいになり、闘争を続けていく気力のある者は徐々に減り、長いものに巻かれるようにしてバレンタイン法を受け入れていった。
百円ショップでは安価なチョコセットが大量に売られるようになり、男たちに配る経済的負担も徐々にだが軽減されていき、一部の低所得者には補助金が支給された。
もはやバレンタインに異を唱える者は、恋子を始めとした解放戦線初期のメンバーたちだけとなってしまった……!
「どいつもこいつも長いものにクルクル巻かれやがって! そうやって諦めるから家畜のように搾取されるのだ!」
ここは都内のあるオフィスビルの地下室、解放戦線の秘密のアジトで、恋子は悔しそうに歯噛みし、叫んだ。
メンバーが減っていくにつれて次第に敗色濃厚となり、リーダーである彼女の精神はすでに限界に近かった。
そんな恋子を、ひとりの若い男が抱きしめる。
「落ちつくんだ、恋子。感情的になるな」
彼の名前は半侍持男。バレンタイン法が可決される前はその甘いマスクと口の巧さで幾千ものチョコを獲得してきた剛の者である。
そう。彼のような持つ者にとっては、バレンタイン法などという悪平等法は害悪でしかなかった。
「うう。ううう。うーうー。持男ォ」
稀代の美男子の包容力により、恋子は落ちつきを取り戻した。
「こうなったらもう手段は選んでなどいられない。国民の大多数が家畜となることを選んでしまった。援軍は期待できない。ならば――」
持男は気取った仕草で指をパチンと鳴らした。
直後、部屋の扉が開かれ、数人のサングラスをかけた黒服の男が入ってきた。
彼らはその肩から下げた複数の楽器ケースをテーブルの上に置き、開封。
その中に入っていたのは、AK47自動小銃。
ヤクザとコネのある持男が、解放戦線に残された活動資金を全投入して仕入れたものだった。
「クーデターを起こすしかない。このまま家畜にされて飼い殺しにされるくらいなら――玉砕覚悟で無茶苦茶やってやろう!」
* * *
最盛期の半分以下になったとはいえ、未だに数百人規模のメンバーを誇る解放戦線は、ヤクザの支援を得て一斉蜂起。
意外にも――平和ボケした現代日本人、などと完全に国民をナメきっていた総統や閣僚は。
経費節減のため、官邸に最低限の警備兵しか配置しておらず。
死すら覚悟した上、火力面でも上回る恋子たち解放戦線に。
手も足も出せず、あっという間に制圧されてしまったのであった……!
「貴様がすべての元凶か」
天守閣にて総統に銃口を向け、恋子が低い声で問う。
「いかにも」
さすがに一世代で財閥を築き、一国の総統にまで上りつめた男は。
尻尾を巻いて逃げていった他の閣僚とは違い、威風堂々とした態度だった。
「バレンタインを自由化したいのならば、私を斃してからにすることだ」
「なぜ貴様はそこまでバレンタイン法にこだわるのだ」
恋子が総統に問う。
「知れたこと。持たざる者の気持ちなど、持つ者にはわからぬ。持つ者などほんの一部であり、世の中の八割以上は持たざる者――すなわち非モテであるという統計が出ているのだ。国家の使命とは何か! それは多くの国民を幸せにすることだ。人間は生まれながらにして平等ではない。美男と醜男の間には決して越えられない壁があり、一部の持つ者だけが幸せになる裏で多くの持たざる者たちは地獄の業火に焼かれ苦しみのたうち回り、この世の理不尽を呪う! バレンタイン法の真の目的とは、すべての日本男児に平等にチョコレートを配ることによって、日本男児すべてを幸せにすることだ。そのためならば、私はあえて独裁者の汚名を被ろう」
「もっともらしいこと言って正当化してんじゃねえ!」
恋子は阿修羅の形相でAKの引金を引いた。
銃口から放たれし七・六二ミリ弾が、瞬時に総統を蜂の巣にした。
かくして解放戦線決死のクーデターは見事成功。
黒幕である総統を倒したことによって、バレンタイン法は廃止され、日本に民主主義が蘇った。
しかし、油断はできない。
総統の遺志を継ぐ非モテたちの手によって、一旦は廃止されたバレンタイン法がふたたび復活する恐れがあるからだ……!
「私たちの戦いは、これからだ!」
この世に持つ者と持たざる者のいがみあいがある限り――恋子たちの闘いは、終わらない。