異世界チートの遺産争い

 黒曜日出夫こくようひでおはある日突然トラックに跳ねられて死んだ。しかし異世界の女神によって、世界の争いを終わらせるために特別に転生させてもらうことができた。たったひとりで世界を救うためにありとあらゆる天変地異を操る程度の能力を授かり、各国の軍隊を単身で蹴散らし、核爆発すらも無力化した。

 あっという間に彼は世界を征服し、三人の妻との間に五人の子を授かった。

 子供たちは父の血をひいているせいなのか、やはり何らかの異能の力を持って生まれていた。

 それからさらに数十年後、日出夫は脳梗塞で死んだ。たったひとりで世界を征服した反則級チート能力者も脳梗塞には勝てなかったのだ。

「親父が死んだ今、ワイらが一致団結して世界の平和を守るべきや」長男の火炉士ひろしが言った。「で、問題は誰が頂点に立つかやな。普通に考えれば長男のワイが」

「ああら。そんな考えはもう古いわ」長女の水代みずよが冷笑した。「今は男女平等の時代でしょう」

「財産……というか、父さんの所有物であるこの地球のありとあらゆる土地と富をどう分配するか、だが。残念なことに父さんは遺言書を残していない。しかしぼくたちが遺産を巡って争うことを父さんは望まぬだろう。そこで、皆平等に山分けするというのはどうだろうか」次男の金造きんぞうが言った。

「平等ねえ。うふふ」次女の木久江きくえが眼を細めて笑った。「なら、お父様の介護に一番携わった私が多く受け取るのが道理ですわ。世界の半分の土地と富を私の手に。そうですわねえ、北アメリカ大陸とヨーロッパ全土を頂こうかしら。あとは皆で勝手に分けあってくださいな」

「う。そそそそれ、ちちちちがう」ずっと沈黙していた三男の土秀つちひでどもりながら反対した。

「まあ木久江の言うことも一理あるわ。二パーセントくらいなら上乗せしてあげても」水代が助け舟を出した。

「私の介護がたったの二パーセントだとおっしゃるの。よだれ糞尿垂れ流しのお父様に毎日つきっきりで、やりたいこともろくにできなかったというのに」やや芝居がかった様子で木久江は喚いた。

「どうせ下僕にほとんどやらせとったんやろ。木久江。欲かくのも大概にせえよ。死んだ親父がこんな醜い争い見たら嘆くで」火炉士が木久江をなだめるように言った。

「お父様はとっくの昔にけてしまったから大丈夫よ」演技に飽きたのか、木久江が落ち着いた口調で言った。

「あれ」

 金造が間の抜けた声をあげた。

 

 いつのまにか彼の左胸に、拳大くらいの丸い穴が、ぽっかりと空いていた。

 

 ががが、と、道路工事の削岩機のような音を立てて部屋中の窓という窓がすべて割れ、外から迷彩服に身を包んだ五、六人の兵士たちが飛びこんできた。

「自由万歳。独裁者黒曜日出夫亡き今、世界に平和と民主主義を取り戻す時がやってきたのだ。今日こそが我々の第二の独立記念日である」

 反則級チート能力者といえど、体は生身の人間であり、銃で撃たれれば普通の人間同様死ぬ。

「死ね、悪魔ども」兵士たちは残る四人を仕留めるべく、銃を乱射した。

 火炉士は自身の前に瞬時に炎の壁を作りだし、木久江は部屋にあった観葉植物を巨大化させて自分と水代を銃弾から守り、水代は水を高圧で発射して水圧カッターの要領で兵士たちを次々と切り裂いた。唯一反応の遅れた土秀だけが、弾丸の餌食となった。

 血染めの部屋に残されたのは、火炉士と水代と木久江の三人のみ。

「水代姉様。ここは女同士共闘しませんこと?」木久江が淑やかに微笑み、水代に言った。「私たちが力を合わせれば、火炉士兄様も倒せるわ。そうしたらお父様の遺産は仲良く山分け。悪い話ではないでしょう?」

「火炉士兄さんがいなくなれば、後はあなたの敵は私だけ。私は水属性、あなたは木属性。戦えばどちらが勝つかは火を見るよりも明らか」水代が鋭い眼つきで木久江をにらみつけた。そう、木属性の木久江は地球上のありとあらゆる植物を操る異能の持ち主であり、木は水を吸いあげるゆえに水属性に強い。つまり木久江は水代にとって天敵なのだ。「私を騙して全遺産を手に入れようって腹ね。木久江。その手には乗らないわよ。あなたが遺産目当てで父さんの介護をしていたことは誰もが知ってるわ。火炉士兄さん、この腹黒の妹を私たちの手で懲らしめるわよ」

「よう言うわ、水代。お前こそ邪魔な木久江を倒して残ったワイを溺死させようって魂胆やろ。その手にはのらんで」火炉士が水代に吼えた。水属性で水を自在に操る水代は、火属性の火炉士にとって天敵である。「木久江、ここはひとつワイと手を組まんか」

「あらあら。どの口がほざくのかしら」木久江は眼を細め、嗜虐的な笑みを浮かべた。火は森を一日で灰にする。火を自在に操る火属性の火炉士は、木久江にとっての天敵だった。

 まさにジャンケンのグーチョキパー。火炉士が木久江を殺せば水代が火炉士を殺し、水代が火炉士を殺せば木久江が水代を殺し、木久江が水代を殺せば火炉士が木久江を殺す。ゆえに三人ともうかつに手が出せないのである。

「あっ」

 突然木久江が眼を丸くし、窓の方を指さした。

「何や」火炉士がつられて窓の方を見た。

 隙あり、と言わんばかりに木久江の腕から伸びた鋭い木の槍が、火炉士の心臓めがけて突きだされた。

「おっと。不意打ちなら天敵のワイを殺れると思ったか。木久江。甘いで」

 間一髪で木久江の木の槍を手で受け止めた火炉士は、わにさながらに大きく口を開けた。喉の奥が灼熱色に輝き、このまま高温の炎を吐き出して木久江を焼き殺すつもりだ。

「あら。いいのかしら。私を殺したら、水代姉様の天下が確定しますわよ」

 確信に満ちた笑みで木久江がそう言うと、火炉士がためらったのか、喉の奥に渦巻いていた炎が消えた。

「大丈夫よ。火炉士兄さん。私は木久江と違って遺産争いなんてするつもりないから。木久江が死んだら、ふたりで遺産を山分けしましょ」水代は微笑みそう言った。が、よく見ると眼が笑っていなかった。

「は。山分けしようって眼やないわ。誰がだまされるかボケ」

 火炉士が木久江を突きとばして解放し、場はふたたび緊迫の膠着こうちゃく状態になった。

 しかしものの数分でそれは破られた。

「感じるか、ふたりとも」火炉士が言った。

「ええ。屋敷周辺の森に約五千人、戦車もいるみたいですわ」木久江が言った。

「海岸に空母が停泊してるわ。ミサイル艦も一緒よ」水代が言った。

 テレビをつければ、そこでは世界一の経済大国アメリカの大統領が「黒曜家からアメリカを取り戻す」などと演説をしており、黒曜邸に進軍する多国籍軍の様子が放映されていた。

「下々の連中が騒がしいな。どうや。ここは一時休戦にして、調子こいた愚民どもを黙らせんか」火炉士が眼を爛々らんらんと輝かせた。

「賛成ね。黒曜家は世界の王家。逆らう者には制裁を下さなければならない」水代が冷たい眼と声で言った。

「人間は少し地球を荒らしすぎなのですよねえ。この際だから半分くらい森の養分になってもらおうかしら」柔和だがどこか歪な笑顔で木久江が言った。

 多国籍軍の規模は圧倒的だったが、黒曜家の人間は皆反則級チート能力の持ち主。火炉士の放った無数の火炎弾は戦闘機やミサイルをことごとく撃ち落とし、水代の引き起こした大波が艦隊を丸ごとなぎ払い、木久江が急激に成長させた森が地上部隊や軍事基地を根こそぎ飲みこんだ。かくして黒曜家の支配から世界の解放を、との大義名分で始められた戦争はものの一時間もしないうちに終わってしまった。

 

 領土の分割は、結局火炉士がアメリカ大陸を、水代がヨーロッパとアフリカ大陸を、木久江がアジア全域とオセアニアを支配することで合意となった。しかし互いに隙あらばいつでも天敵を抹殺し、自ら世界の覇者となるべく策謀していた。

 そして彼らの父・日出夫の死から一年が経過した頃。火炉士、水代、木久江の世界三大元首が、父の法事のため日本の日出夫邸に集まった。

 法事に呼ばれた坊主は、三者のにらみあいによる極限の緊張とストレスによって急性胃潰瘍を起こし、病院へ運ばれた。

「あーあ。法事どないすんねん」火炉士がぼやいた。

「心配ご無用」

 ……と、誰かが言った。

「誰かし、ら」水代が辺りを見回して言った。

 

 彼女の腹に、いつのまにか銀色の大剣が深々と、突き刺さっていた。

 

「うげ」

 水代は口から滝のように鮮血を吐き出し、地面に崩れ落ちた。

 水代を刺したのはひとりの見知らぬ少年で、その手には水代の血でまっ赤に化粧した身の丈ほどもある武骨な大剣が、あった。

「何やこいつ」

 火炉士が口から巨大な火炎を放った。ゆうに三万度を超える炎は、しかし少年のふるった大剣によってふたつに分断され、消滅した。

「グルーチョ・ブレイク」

 少年の大剣が白い光に包まれたかと思うと、次の瞬間、火炉士は頭から股にかけてきれいにまっぷたつに両断されていた。

「ひ」木久江の顔が恐怖に染まった。「な、何ですか。あなた。人の家に土足で踏みこんできて、いきなり」

 少年は大剣の切っ先を木久江に向けた。見た感じなよっとしていて、どこにでもいる文科系の学生という出で立ちで、とても身の丈ほどもある大剣を軽々と振り回せる体格ではなかったが、おそらく彼も自分たちと同じ異能の者なのだろう、と木久江は推測した。

「運悪くトラックに跳ねられちゃってさあ。そしたら女神様が現れて、こっちの世界を荒らす悪いやつらを退治するなら、生き返らせてくれるってさ。しかもすっげえ強くなれるって。一度やってみたかったんだよね、異世界チートって」

 少年は屈託のない笑顔で言った。

 しかしそれは木久江にとって、とても残酷な笑顔だった。まるで子供がゲーム感覚で虫を殺してしまうような……

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