黒金記

第4話

 煌梨きらりを殺したことに関して、村正に良心の呵責は露ほどもなかった。裏社会で生きるのは常に死と隣りあわせであり、弱いくせに欲に眼が眩んで政界という死地に足を踏みこんだのが全面的に悪い。それに、あんなスクラップのひとりやふたり消えてなくなったところで世界は何ら変わりはしない。

 煌梨がうまく大沢を始末してくれればそれが一番手っ取り早かったが、彼女がなびかなかった、あるいは任務に失敗した時のためのプランBを村正は用意しており、予めクローディアや他の仲間たちと示しあわせていた。自分たちの痕跡を消し、監視カメラに細工を施して、煌梨が死亡した時刻の直前に大沢がマンションの部屋を訪れたように見せかけ、彼に煌梨殺しの罪をなすりつけ、逮捕させた。

 いくら白金機関の護衛といえど、拘置所の中まで押し入って大沢を守るわけにはいかない。そして拘置所は警察の上位組織である〈国家保安委員会〉の支配下にあり、そのトップはクローディアの上司、ヘリオスの幹部高神麗那たかがみれいなであった。

 数日後、大沢は原因不明の多臓器不全で死亡した。

 村正は任務を成功させた見返りに、ヘリオスの殺し屋として高神の指揮下で働くようになった。村正が元白金機関のエージェントだったことはクローディアはおろか高神も気づいていたが、白金ヒヅルの懐刀である大沢を殺したこと、白金機関について知りうるすべての情報を提供したこと、また他の任務を成功に導いていくことで信頼を勝ちとっていった。共に任務をこなしていくうちに、クローディアも村正の手腕を認めつつあった。

 

 それから三年の歳月を経て、二〇一三年十月二十日。秘密結社ヘリオス日本支部長という裏の顔を持つ鷹条林太郎たかじょうりんたろう総理大臣より、村正とクローディアに直々に司令が下された。今回の任務は、総理の娘である鷹条宮美みやびに白金機関のエージェントが接触した疑いがかけられており、彼女は今総理と懇意の広域暴力団〈黒獅子組〉の組長宅に幽閉されている。しかし白金機関の力を持ってすれば、いずれふたたび宮美嬢に接触してくる可能性は高い。

 鷹条宮美は、父の林太郎とは異なる政治的思想を持ち、目的達成のためには手段を選ばぬ父に何かと反目している。そこに白金機関のエージェントが言葉巧みにすり寄り、彼女を反鷹条政権プロパガンダの宣伝塔として利用しようとしているのは明らかだ。宮美には以前〈週刊文冬〉に父を告発する内容の投書をしたという前科がある。無論たかだか一週刊誌にやられっぱなしの鷹条総理ではなく、金と権力に物を言わせて潰したが、今度の相手はあの白金機関で、彼らは文冬などとは比べ物にならない大手メディアを複数支配下に収めている。もし鷹条宮美が白金機関の手に渡れば、鷹条林太郎総理が権力を掌握するために行ってきた数々の悪事が証拠つきで明るみに出、総理の座から失脚させられる可能性すらある。

 鷹条総理からの指令は、以下の通りである。「白金機関のエージェントが鷹条宮美に接触を試みてきたら、すみやかに排除せよ。手段は問わない。宮美が敵の手に渡るくらいなら、最悪殺してしまってもかまわない」

 総理と懇意の広域暴力団〈黒獅子組〉、その組長宅には拳銃だけにとどまらず短機関銃サブマシンガン突撃銃アサルトライフル、対戦車ロケットランチャーなどで武装したごりごりの武闘派構成員六十人あまりが警備にあたっていた。

「たかだか敵のスパイ一匹に、ずいぶん大げさなやつらだな。戦争でもする気かよ」村正が嘲るように言った。

「宮美嬢はよ、俺たち黒獅子組が守るからよ、お前らの出番なんざねえよ。とっとと帰ってファックして寝てろ」

 派手な金髪頭の若い男が村正とクローディアにそう言い放った。この男、何を隠そう黒獅子組組長黒獅子龍馬の次男にして次期組長、黒獅子龍二であった。若くして病死した長男の龍一に代わって組では「若」と呼ばれ、勇敢な切れ者の父や兄には似ず、組長はおろか幹部や組員たちからもボンクラとして見られている、劣等感の塊。総理の娘、鷹条宮美に懸想けそうしており、毎晩のように部屋に押しかけては諦め悪く口説き続けているが、宮美にその気がないのは誰が見ても明白であった。

 鷹条宮美は屋敷の一番奥の来賓らいひん室から出ることはなく、何か用があれば都度組員が代行していた。荒くれ者の組員たちと話があうはずもなく、風呂と食事とトイレ以外はほぼ部屋で勉強したり本を読んだりと引きこもりのような生活を強いられ、気が滅入っている様子だった。

「来やがったな」

 屋敷の中を規則的な動きで徘徊する不自然な虫――否、虫を模したドローンの存在に、村正は気づいていた。

 白金アルマ。人工全能計画において高い知能を持って生まれたものの、肉体面において欠陥が目立ったために廃棄される予定だった〈失敗作〉。しかし幼少の頃より玩具や機械をいじることに並々ならぬ情熱を持っており、今や世界最小とも言える秘密ドローン兵器の開発者になってしまった。村正が白金機関にいた頃にはまだ蜻蛉とんぼやゴキブリといった比較的大きなものしかなかったが、それでも任務の際にアルマのドローンにはかなり助けられていた。

 村正はドローンのカメラに捉えられぬよう、監視の間隙を縫うようにして息を殺しながら屋敷内を移動した。鷹条宮美の部屋の前で気絶している組員を見かけ、村正の疑念は確信へと変わった。

 ぎし、と、わずかに床が軋む音がした。

 敵のスパイはともかく、鷹条宮美に無音歩行術の心得などあるはずもない。組員が無思慮に歩く音ともちがう。気配を殺したいのに殺しきれない、そんな遠慮がちな歩行音。敵のスパイは、すでに鷹条宮美に接触し、連れ出そうとしているようだ。

「ビンゴオ」

 村正の勘は見事に的中し、屋敷東側の廊下の窓から今まさに庭へ抜けようとしている敵と宮美の姿があった。

 たーん。

 村正のAKMSカービンが火を噴き、敵の足に命中した。

 鷹条宮美たかじょうみやびを連れ出した敵の正体は、雪のように白い髪と肌を持つ風変わりな二十代くらいの男だった。

 こいつはたしか……

 見憶えのある顔だ、と、村正は脳内の記憶を探った。そうだ。姉御の言っていた、例の〈人工全能〉白金ヒデル――あの白金ヒヅルのクソババアが、実の弟のように可愛がってる野郎だ。こいつは面白いことになってきやがった。けけけけけ。

 

 

 

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