人工倍増計画

「少子化は我が国でもっとも深刻な国難であり、我が国の人口は一年で五十万人減っている」

 政権与党愛国党の新しい総裁であり、新総理でもある宇無賀靖うむがやすしが、秘密地下閣僚会議の一室で言った。甘いマスクに凛とした声、まだ五十歳手前で〈打倒少子化〉を掲げていた彼は日本国民、特に若い層を中心に支持を集めていた。総理はそのまま続けた。

「これは大都市に毎年原爆を落とされているようなものであり、今すぐに解決しなければならない。少子化担当大臣。何かアイデアはあるか」

「まず、子供たちの性教育を全般的に見直します」老いて皺だらけになった顔に不釣りあいなボリュームの黒く若々しい頭髪を持つ少子化担当大臣が、抑揚に欠けた声で返答した。「若者たちの性行為が減っているのはひとえに厳格な貞操観念によるものであり、性教育改革によりこれを破壊、誰彼かまわず性行為に及ぶことこそが国難克服につながり、ひいては本人たちの幸せであると、刷り込む。そうですね。一日一時間は保健の授業をやらせましょう。さらに教科書の挿絵にはエロ漫画家を起用、給食には催淫剤を混入するのがいいと思われます」

 真顔で早口で説明する少子化担当大臣に、宇無賀総理は顔をしかめた。

「総理。私にも考えが」財務大臣が言った。彼はこう言ってはなんだが閣僚一容姿が醜いことで有名であり、そのガマガエルのような顔から某有名SF映画のモンスター、シャバ・ザ・ハット(または略してハット)などと呼ばれていたりする。

「言ってみたまえ」総理が促した。

「今の若者は恋愛や結婚に対して消極的であります。それはひとえに理想の相手以外と結ばれるなんていやだ、そんなことをするくらいなら一生独身でいいなどとわがままをぬかしているからであり、それを一挙に解決するために新しく〈不細工保険〉なる制度を導入したい。つまり恋愛市場に縁のない容姿の醜いブ男ブ女にも平等にチャンスを与えてやるという大義名分のもとで全国民から保険料を徴収し、それを彼らの整形手術費用に充てるのです。そうすれば日本の恋愛市場は過熱する。どこもかしこも美男美女だらけになれば、若者は恋愛や結婚に対してもっと積極的になることでしょう。人間は見た目じゃない、中身だなどというのは欺瞞。どんなに低姿勢で女に優しくしたところで結局はいい人止まり。女は結局顔で男を選ぶのだ。私が学生時代の頃は」

 何かのスイッチが入ったのか、だんだん興奮して髪を振り乱し、喚き続ける財務大臣を総理は手で制し、遮った。「増えた子供の受け皿について、貴殿のアイデアは。厚労大臣」

 少子化担当大臣の隣に座っていた、二メートル近い長身の蟷螂カマキリみたいな顔立ちの厚労大臣が、ぼそぼそと口を開いた。

「子供は国家の宝であり、本来なら子育ては国家が全面的にバックアップすべきもの。そこで無料の育児施設を増やすのです。子育てができなくなっても気軽に預けられるとなれば、大衆も気軽に子供を作るようになるでしょう。若者が子作りを避けるのはリスクだからであり、そのリスクを排除してやるだけで出生率は爆上がり間違いなし」

「自衛官が年々少なくなってきている」防衛大臣が唐突に言った。連日の暴飲暴食でぶくぶくに太り、膨れあがったその顔は児童漫画のヒーロー〈アンパン男〉に酷似しており、大衆の間でそう呼ばれてもいた。「その育児施設出身の子を防衛大に勧誘させるよう働きかけてくれんかね。お隣さんが軍拡や挑発を続けてるおかげで、こっちも人手が必要なんだ。徴兵制復活なんて言い出した日にはあっという間に大衆の支持を失ってしまうからな」

「ふむ。それは名案だ。国家に育てられた者たちが国家に報いるのは当然だろうて」総理がしたり顔で言った。

「それならば、農林水産業にも回していただきたい」小さな頭に不釣りあいなほど大きい眼をぎょろりとさせた、老いぼれたチワワのような顔の農林水産大臣が発言した。「最近の若いやつらときたら一次産業、殊に百姓はきついからやりたくないなどとわがままをぬかしおる。楽して稼ぐことばかり考える堕落しきった日本の若者に、勤労の美徳とは何たるかをたたきこんでやればよろしい。わしらが若い頃は」

「選挙対策委員長。貴殿の考えは」

 総理は農水大臣の長話を無視して選挙対策委員長の方を向いて訊ねた。黒縁眼鏡をかけた七三髮の、この中では比較的若い、政治家というよりはやり手の官僚といった出立の選挙対策委員長が、眼鏡の端を指二本でくいと押しあげながらこう答えた。

「まず頭の古い年寄り連中がだまってないでしょうな。その上福祉を削って予算を捻出するなど、自殺行為としか思えません。現状では中高年世代の票田は必須。しかしそれは」選挙対策委員長はひと息つき、そして邪な笑みを浮かべて続けた。「正攻法ならの話です」

「つまり、すでに業者を懐柔したということか」総理の口角がつりあがった。

「はい。選挙集計マシンの業者を買収し、ある細工を施しました。これで我らが何をしても再選は確実」

「そうかそうか。よくやったぞ。くくく」総理は日の丸の描かれた扇子をとりだし、ばっさばさとあおぎだした。「これで我らの悲願である人口倍増計画が実行できる。我らは死にかけた日本を蘇らせるのだ。メディアの懐柔もすでに済ませてある。やつら、ちょっと食事に誘うだけでへらへらとへつらってきやがるからちょろいものよ。私の背後には暴力団がいるからな。わははは」

 

 人口倍増計画。日本を少子化の国難から救うという大義のもと、この一連の政策はただちに実行された。

 まず、子供の性教育改革。少子化担当大臣が指揮をとり、子供たちの貞操観念を破壊するための徹底的な改革がなされた。

 これはとある中学校の保健体育の授業。

「いいですかー。つまりお父さんとお母さんがセックスをしてなければ、皆さんはこの世に存在しないわけです」

 長い髪を左右に分けた小太りの中年男性が教壇の上に立ち、エロ漫画家の描いた等身大性交パネルを教鞭でびしびしとたたきながら、真顔で熱弁していた。

「えー。人類がここまで栄えてきたのも、数えきれないほど多くの男女がセックスをしてきたからです。勉強や仕事などはおまけで、すべての男女がセックスを拒めば、国は五十年もしないうちに滅んでしまいまーす。しかし、勉強や仕事を多少怠けたところでたくさんセックスして子供を産めば、少なくとも国が滅ぶことはありませーん。政治や経済がうまく機能すれば、国がふたたび栄えることもできるでしょう。セックスそっちのけで仕事や学問に打ちこんでしまうのは生物として欠陥品、言うなれば腐ったミカンのようなものです。人間はセックスによって生まれ、セックスによって命をつないでいく。人間の体は十二、三歳くらいでセックスできるようになるので、セックスを忌避してまで勉強や部活動に打ちこんではいけませーん。健康的にも精神的にも大変よろしくない。いっぱい勉強していっぱい仕事してお金を稼いで経済を回しても、セックスしなければ国は滅びてしまうのであり」

金七きんしち先生ー、江口えぐちくんがまたオナニーしてます」先頭の席に座っていたツインテール髪の女子生徒が、後ろの席の男子生徒を指さし、嘲笑した。

「きゃー。汚い」

「きもーい」

 周りの女子生徒たちも同調した。

「やれやれ。またかあ。江口」金七と呼ばれた中年教師は苦笑した。

「えー。誰彼構わずセックスすることこそ少子化解決に必要なのであり、社会正義なのです。そうですね。江口くん、そんなにしたければ、西園寺さいおんじさんとしなさい。今ここで」

 江口を指さしてわらっていたツインテールの女生徒西園寺の顔が、ビデオの一時停止のごとく静止した。

「うっ。さ、西園寺。じ、実はおれお前のことが前から」

「きもっ。汚ねーもん見せんな変態」

 もはやなりふりかまわず全力で拒絶する西園寺を、金七が背後から羽交はがめにした。「まったく若者は元気でいいなー」

「あっ。やめてよして」西園寺の顔がとたんに恐怖に染まった。

「子供ができても国がしっかりと育ててくれるからなー。元気な子を産むんだぞー」金七は西園寺を無視して平然と言った。

「あっはっは」

「わははは」

 教室全体が笑いの渦につつまれた。

 

 また財務大臣の提唱した、容姿の冴えない男女を恋愛市場に巻きこむための不細工保険制度もあわせて開始された。これは十八歳以上の男女に一度だけ無料で整形手術を受けさせるという画期的制度であり、これによってモテない男女にも恋愛、結婚を促すのが狙いである。

「あ、あの。どちら様ですか」

 とある一流商事会社でOLとして働く女性が夜家に帰宅する途中、見知らぬ男に突然声をかけられた。男は花束を持っており、街灯に照らし出されたその顔に、彼女は見覚えがなかった。

 しかしその男はかなりの美男子であり、OLは顔を紅潮させ、明らかにときめいていた。「中学までずっと一緒のクラスだった、武田たけだだよ」

 この男はかつて学園一醜いといわれていたブ男であり、武田という苗字と相まって〈ブタ〉などと呼ばれていた。対してこのOLは全校でも一二を争う美少女として男子たちの憧れの的であった。

「うそ。あの武田? だって、あんな、ブ、ブ」

「ぼくはもうブタじゃない」日本人離れした、まるでハリウッド俳優が如き顔立ちの美男子が叫んだ。「せ、整形手術を受けたんだ。今は不細工保険があるから、誰でも一回は無料なんだよ。美女木びじょぎ。昔フラれちまって未練がましいかもしれないけど、おれ、お前のことがやっぱり忘れられないんだ。おれと付きあってください」

「あっ。よろしくお願いします」

 武田の容貌が完全に自分の好みだったこともあり、美女木はふたつ返事で彼を受け入れた。

 

 学生の間にできた子供は、これまた厚労大臣の指揮のもと国が乱立させた育児施設に放りこまれ、育てられた。同時に防衛大臣や農水大臣の計らいで防衛大や一次産業への強引な斡旋も推し進められ、中には兵士の養成所と化しているところもあった。

「貴様らは人間ではない。豚だ。ウジ虫だ。盛りのついた犬畜生どもがファックしてでき、捨てられた犬畜生以下の生命体なのだ」

 やくざ顔負けの強面職員が、年端もいかない子供たちに腕立て伏せをさせながら罵り続けた。

「人間でない者に人権などない。私の命令には絶対服従。反抗するやつ、訓練や勉学をさぼるやつは容赦なくぶち殺してやる。国家に命を捧げ、己を磨き続けるやつにだけ生きる権利を与えてやる。こら。返事はどうした」

 

 これら一連の改革には多額の税金が必要になり、老人たちの年金や福祉をごりごり削って実現したため、各地で高齢者たちのデモが起こり、政権与党愛国党は次回の衆院総選挙で高齢者の票を失って敗北必至とされていたが、武力鎮圧と不正選挙でうまく切り抜けた。

 しかしこの改革を不服に思うのは高齢者たちだけではなかった。未だに強い貞操観念を持つ生真面目な者たち、特にPTAは子供たちの貞操観念を破壊し堕落させ、学力を低下させたなどと愛国党の政策を批判、〈貞操党〉なる新党を立ちあげ、失われた貞操を取り戻せなどと連日デモを繰り広げた(しかしことごとく警察の鎮圧部隊にたたきのめされた)。

 さらにもともと容姿のよかった美男美女は、なぜ自分たちの税金が不細工どもに注ぎこまなければならないんだと不満を訴えていた。事実不細工保険は彼らに何の恩恵ももたらさないどころか、増税や美化された元不細工たちによる恋愛競争市場の激化などデメリットしかないからだ。しかし宇無賀総理はあくまで機会平等のためだと主張した。

 出生率は先進国では異例の急上昇を遂げ、五年後には三・二五と、新たなベビーブームを創り出すことに成功。だが失ったものもまた大きかった。まず財源を得るための増税で不況はさらに加速し、失業率は十パーセント近くまで上昇。早いうちから恋愛に精を出すようになった学生たちは勉強や部活動を疎かにするようになり、当然学力は全国的に低下。スポーツの分野でも本来ならスター選手となるはずだった者たちまでもが催淫剤によって恋愛や性交に精を出すようになり、プロスポーツ界のレベルは年々低下し、オリンピックでのメダル獲得数もガタ落ちした。老人たちはぎりぎりの暮らしを迫られ、あっという間に体調を崩し、医療も全額負担となって次々と命を落としていったため、平均寿命は七十二歳にまで低下。不正選挙にも限度があるので六十五歳以上の世代の選挙権を剥奪したところ、老人殺しと罵られ、非民主的だと非難する海外メディアまで現れた。

 

「子供たちこそが国の宝であり、子供の生まれない近代国家は滅びるしかないのだ。国難の時には多少の不正はやむをえない」

 非公式の秘密地下閣僚会議の場で、総理が言った。

「敬老党が、宇無賀総理は人殺し、などと喚いています」官房長官が言った。

「何をばかな」総理は憤激して肘かけを拳槌けんついでがつんとたたいた。「やつらはそうやって人のあげ足ばかりとって、自分たちでは結局何ひとつ代案をよこさないのだ。ただ何でもかんでも反対しときゃ票がとれると勘違いしてやがる。そんなんだから万年野党なんだ。やつらの言うとおりにやっていたらこの国は年寄りとともに沈んじまう。人殺し、けっこうじゃないか。我々は死にかけた日本を蘇らせるのだ。この国を食い物にする年寄りどもをぶち殺し、若者たちに投資し、国の未来である子供たちを育てる。年寄りどもには喚かせておけばよい。どのみちすぐにくたばるやつらだ。選挙システムは我々の手中にあるし、若者たちの支持は得ている」

「総理。若者たちもデモを開催しています。おそらくは不細工保険の恩恵に預かれなかった生まれながらの美男美女たちかと。まとめると、自分たちが何の恩恵も預かれないのは不公平だと訴えているようです」総理の秘書官が報告した。

「放っておけ。生まれながらの美男美女などほんのひと握りで、それ以外の大多数は我々を支持している。王とは時に大多数を救うために少数を切らねばならないこともあるのだ」

 

 しかしながら現実はそう簡単に思いどおりにはいかないもので、子供は増えたものの、民衆の暮らしは決してよくはならなかった。子育てには費用がかかり、その費用を稼ぐために親たちはたとえブラック企業でゲスな上司の下でも耐えて働き続けなければならなかった。いくら豪腕と呼ばれた宇無賀政権も、あくまで経済界のバックアップあってのものであり、労働環境の改善には及び腰であったからだ。荒廃した家庭環境で育った子供はやがて非行に走り、愚連隊を結成。治安が悪化して刑務所はどこも満員御礼、警察も大忙しでその隙に暴力団が増長し、銃や麻薬の密輸が増えて社会は荒廃していった。

 そこに日本の発展を喜ばぬ者たち――近隣諸国の指導者たちが徒党を組み、水面下で動いていた。

 メディアを買収し、宇無賀総理は独裁者だ、日本に民主主義を取り戻せなどとプロパガンダを展開。そして潜伏させておいた工作員を使って革命を扇動させた。かくして総理官邸の前には武装した民衆百万人が洪水のごとく押し寄せた。

 警察が鎮圧に動き出したが多勢に無勢、武装組織のリーダーが一気に総理の元まで乗りこんできた。

「ようやく追いつめたぞ、独裁者め。お前がこの国をかき回してくれたおかげで、日本はめちゃくちゃだ。ここで死ぬか、皆の前で腹を切って死ぬか、選べ」

 武装組織のリーダーがAK74アサルトライフルを構えて総理に命令した。この男は実の親に施設送りにされ、そこで厳しい訓練を受けて自衛隊に半強制的に入隊、しかしある日兵舎から脱走して反政府ゲリラ組織を立ちあげたのである。

「そうだ。私は独裁者だ」総理は言った。「死にかけた日本を若返らせることだけを考えていた。そして、結果を出した。解決不能と言われた日本の少子化を、解決したのだ。この結果だけはもはや覆らぬ」

「何が解決か。こんな地獄みたいな世の中になるなら、少子化なんて解決しなけりゃよかったんだ。生まれたことを後悔するようなこんな世の中は、俺たちが全部ぶっ壊してやる」

「殺したければ、殺すがよい。私が死んでも第二第三の宇無賀靖が」

 

 たーん。

 

 ゲリラのひとりが引金を引き、総理は心臓を貫かれ、絶命した。

 自ら作りあげた血の海の中で、宇無賀総理の死に顔は、笑っていた。

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